もう一度ブルース   1

久しぶりにブルースについて書こうと思う

今回は1920年代のブルースギタリスト(シンガー)に限るけど、じつは1920年代ってブルースのレコーディングがはじめて行われた時期で、それまでアメリカの広い各地にそれぞれの発達をしていたブルーススタイルがようやくそれ以外の地域へも広がって行くターニングポイントでもあった

1929年のアメリカの大恐慌をきっかけにせっかく盛り上がりかけていた南部のレイスレーベル(マイナーレーベル)のブルースレコードはすっかり消えてしまい多くのブルースマンがその後「消息不明」になって長い年月忘れ去られる・・・といういきさつを迎えるのだが、それまでのとにかく24~29年のあいだに本当にものすごい数のブルースが記録に残され、おかげで現代の僕らの耳にも届くことが可能になったわけだ

そして20年代と言うやっとメディア(主にレコードとラジオという媒体)が発達してきてアメリカ全体で「ブルース」というもののある程度の「基本スタイル」が出来上がっていく・・・その「前夜」の模様がこうして今聴いてみると驚くばかりの地域の特色の違いや「これがブルース?」と首をかしげたくなるくらいに個性的なものがあったりと・・・いやあ、面白いのだ

まず初日の今日は初めて「ブルース」という音楽がレコードになったこの人

マミー・スミス Mamie Smith
1883年5月26日にオハイオ州シンシナティで生まれました。1913年にハーレムに出て、多くのキャバレーに出演しました。1920年に黒人作曲家でありバンド・リーダーだったベリー・ブラッドフォード( Perry Bradford )に出会い、同年2月14日、オーケーに黒人女性歌手として史上初めての録音を行ないます。次いで同年8月に録音した「Crazy Blues」と「It’s Right Here For Me」が大ヒットしました。その後もオーケーに約100曲ほどの録音を残しています。1929年にウオール街の株価大暴落から始まった大恐慌の津波は、黒人層を直撃し、レイス・レコードの売上げは激減し、多くの歌手達が消えていきました。マミー・スミスの録音歴も、1931年2月19日を最後にして途絶え、1946年9月16日にニューヨークで死去しました。(以上ラジカルビスケットより)

彼女はいわゆる「クラシックブルース」と呼ばれたグループに入ってた人で、彼女のあとに「マ・レイニー」「ベッシー・スミス」などの大物シンガーが次々と登場するがすべて女性シンガーでしかもジャズバンドがバックに付くというスタイルだった

実は男の弾き語りのブルースマンが登場するのはそれよりもかなりあとの1924年の「パパ・チャーリージャクソン」からになる

それではその世界で初めてレコードになった・・・つまり記録されたブルース

「Crazy Blues」を


そしてこちらはそれから15年後彼女が映画に出演したときの映像です

次回からはその弾き語りブルースマンの紹介をしてきますよ

高円寺ライブハウス ペンギンハウス

http://penguinhouse.net/how

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