もう一度ブルース   16

さて、ラップスタイルのスライドギターのほうはどうなっていったのか・・・

と言う前に実際昔のブルースマンたちはどうやってギターを弾いていたのか

たとえば「チャーリー・パットン」とか「ブラインド・ウィリー・ジョンソン」などはどうもボトルネックスタイルではなくギターを膝に置いたラップスタイルで弾いてたような演奏をしている

そして1930年代になるとそういったスタイルをはっきり持ったギタリストたちが次々に登場してきた

まずはロバート・ジョンソンやエルビス・プレスリーにまで影響を与えたグルースマン

ココモ・アーノルド Kokomo Arnold
本名はジェイムス・アーノルドです。1901年2月15日、ジョージア州アトランタを南に下ったラブジョイで生まれました。従兄弟のジェームズ・ウィッグスにギターを習いました。1919年から、製鋼所の仕事をしながら、バッファロー、ピッツバーグ、ゲイリーと住処を変え、1929年にシカゴへ出た時に、スカウトに見出されて、翌年の1930年にメンフィスで2曲を初録音しました。1934年から1938年までデッカの専属として多数の録音をしています。左利きの彼は、右手にボトルネックを持ち、ギターを膝の上に寝かせて演奏します。代表曲には「ミルク・カウ・ブルース」、「オールド・オリジナル・ココモ・ブルース」があります。1941年になると音楽業界から退き、製鉄所の仕事に戻りました。その後、1960年代初頭に再発見されましたが時流に乗ることは出来ませんでした。1968年に心臓麻痺で亡くなりました。(以上;ラジカルビスケットより)

かつては「メンフィス・ミニー」の夫でもあった
ケイシー・ビル・ウェルドン Casey Bill Weldon
メンフィス・ミニーの最初の夫で、本名はウェル・ウェルドンです。彼女より6歳下ということから推定すると、1909年の生まれです。アーカンソー州パインブラフ出身で没年は不明です。”Casey Bill”は”Kansas City”が訛って渾名になったものです。メンフィスで活動し、スライド・ギターを弾いていたことからメンフィス・ジャグ・バンドに加入し、1927年から28年の録音に参加しています。またビクターには自己名義でも吹き込んでいます。その後、シカゴに出てビッグ・ビル・ブルーンジー、ジャズ・ジラム、ウォッシュボード・サムらと共演し、ホウカム・ボーイズ、ウォッシュボード・リズム・キングズ、ブラウン・ボンバーズの一員としても録音を残しています。特に有名なのは1936年の「W.P.A Blues」で、ギターを膝の上に横置きにして演奏するスライド奏法が聞き所です。また、メンフィス・スリム、ビッグ・ビル・ブルーンジー、レイ・チャールズで有名な「ムーヴ・トゥ・アウトスカーツ・オヴ・タウン」の作者でもあります。1938年の録音以降の消息は不明です。(以上;ラジカルビスケットより)

そして僕が個人的に大好きな
オスカー・ウッズ Oscar Woods
900年頃にルイジアナ州シュリーヴポートに生まれたとされていますが、はっきりとはしません。座って膝の上に置いたギターの弦上でナイフを滑らせて弾くナイフ・スライド奏法の名手で、多彩なフレーズと躍動感のある音色を持っています。1930年と1932年にはエディ・フィッシャーと共にビクターへ4曲を吹き込みました。1936年に「ローン・ウルフ・ブルース」など3曲をデッカに、1937年、1938年にバディ・ウッズの名前でヴォカリオンに6曲、1940年に国会図書館へ4曲吹き込んでいます。1956年に故郷で亡くなりました。(以上;ラジカルビスケットより)

まだまだ居るのだが・・・

そしてじつはこういうギタリストたちにインスピレーションを与えたであろうギタースタイルが意外なところから出現していたのだ それは・・・

高円寺ライブハウス ペンギンハウス

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