もう一度ブルース   20

「ギター」「ハープ」ときたので今日は「ピアノ」について

ピアノブルースはすでに20年代のかなり始めのうちから「ブギウギピアノ」などとともに発展していた たとえばこの人

ミード・ラクス・ルイス Meade Lux Lewis

1905年にイリノイ州シカゴで生まれ、1964年にミネソタ州ネアポリスで死去しました。本名はミード・アンダースン・ルイスです。”ルクス”は渾名の”ルクセンバーグ”の略です。クリップル・クラレンス・ロフトンやジミー・ヤンシーの影響下に自己のスタイルを確立しました。1927年にパラマウントに「Honky Tonk Train Blues」を吹き込みました。

こういったブギウギピアニストと共通の部分も持ちながらそれとは一線を引いたかたちでブルースピアニストたちが居た

チャーリー・スパンドCharlie Spand
1893年5月8日 – 1958年以降 はアメリカンブルースとブギー・ウーギーの ピアニストで歌手であり、バレルハウスのスタイルで知られています。 スパンドは1920年代の最も影響力のあるピアノ・プレイヤーの1つと考えられました。

この人は「ブラインド・ブレイク」とのコンビで多くの録音を残している

スペックルド・レッド 
1891年にルイジアナ州モンローで生まれ本名はルーファス・ペリマン( Rufus Perryman )です。デトロイトに出てピアノを覚え、その後ジョージアに戻り長く暮らしました。29年にブランズウィックに「Dirty Dozens」を録音しました。

それにしても訳すと「赤い斑点」・・とは・・・当時の黒人ブルースマンには「Peg Leg Howel」訳すと「義足のハウエル」とか「ブラインド」とか身体の特徴あるいは障害を芸名にしていたものが多い とにかくインパクトで覚えてもらおう・・・ということだったのかな
高円寺ライブハウス ペンギンハウスhttp://penguinhouse.net/how

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