仲田修子話  2

修子は1946年7月25日に仲田家の長女として産まれた 昭和21年・・・あの大きな戦争が終わってまだ1年も経たないときだ

昭和21年生まれはまだ戦後の「ベビーブーム」が始まる前だがそれでも子供の数は多かったそうだ

生まれてずうっと少女時代を彼女は東京の品川で過ごした

当時の品川はどんな街だったのだろうか

「品川」という土地は江戸時代からすでにかなり栄えていた それは旧東海道の「五十三次」の日本橋から出発して最初の宿場町だったのと、東京湾(当時は江戸湾かな?)に面しており海産物も豊富に採れたからである 宿場にはそれに関るさまざまな業種が発達していた ここらへんの話は調べるとあれこれ出てくるので、それらについては折々に挟ませてもらうことにして修子の話に戻る(挿絵は有名な安藤広重の;東海道五十三次 品川宿)

彼女の最初の記憶・・・こんなことを言っている

「いつごろかは覚えてないんだけど・・・最初は真っ暗な処に居たような感じがあって、そのうち段々明るい瞬間が増えてきて・・・すっかり明るくなって自分が居ることを自覚した」

一体何歳のときの話なんだろう もしかするとそれは生まれて初めて目が見えるようになったときのことだろうか・・・だとしたらものすごい記憶力だ 彼女の記憶力のすごさは現在でもそうで、今回僕が取材で本人から色々な記憶を辿ってもらったのだが、幼少の頃に関しても驚くほどはっきりと鮮明に覚えていた こんなエピソードもある

彼女の母親が言ってたことだが、授乳中にミルクを飲んでいても近くで誰かが話をしているとミルクを飲むのをぴたりと止めてじっと話を聞いていた 喋るのをやめるとまた哺乳瓶に戻る それを繰り返していたというのだ

これらの話から推察すると赤ん坊の頃からおそろしくしっかりとした意識のはっきりとした人間だったのじゃないかな それは今の修子にそのままつながっている・・・そう思えた

その記憶のページをめくってゆくと驚くようなエピソードがどんどん出てくる 明日からはその幼少期の話を紹介させてもらう

高円寺ライブハウス ペンギンハウス

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