「4歳のころの話」
4歳くらいの頃にはすでに修子はものすごくしっかりした子供に成長していた たとえば誰にも教わらずゲタの鼻緒をすげ替えることが出来たり独りで風呂道具を抱えて近所の銭湯に通っていた さすがにこんな子供は他には居なかったので銭湯に居合わせた近所のおばさんに
「えっ、独りで来てるの?親は来てないの? ま~あ!」とびっくりされたりしていた
そういうことを親は何も心配しなかったのだろうか・・・
修子の母親千代は専業主婦なのに家事などほとんどせずに子供の面倒もろくに見ず新興宗教にハマってそれにばかり通う日々だった
修子は1歳半年下の弟の世話まで任されていた 近所の公園に弟を連れて行き遊ばせるのも修子の役割だった
「だからわたしは子供の頃は弟と過ごしてばかり・・・他の子供たちとは付き合いがまったく無かった」 と修子は語る
母親は食事もご飯と味噌汁を作るだけであとは外の総菜屋などの店で買ってきたおかずで済ますか店屋物で済ませていた
もっともそれは仲田家だけが特別にそうだったわけでは無かったようだ 当時の品川はその近所の家も大体そういう生活をしていたという
その頃の品川の街は本当に賑やかで家の周りに何でもあった 肉屋、魚屋、総菜屋・・・・映画館、銭湯も3軒ずつあったという
「まるでショッピングモールの中に住んでいるみたいだった」
と修子は語る
当時の品川には生のりや生のアミなどを売りに来る業者も居たそうだ
その頃は海が目の前で品川でも新鮮な魚介類やノリが採れたという 家から海岸までは歩いて4~5分くらいの距離だったという
そもそも「品川」というのはどういう土地だったのだろうか?
調べてみると出てくる出てくる・・・本当に沢山のことがこの土地には埋まっていたのだ
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