仲田修子話  8

江戸時代の徳川幕府の政策で品川には多くの寺や神社があった それは明治維新後も残りさらには太平洋戦争も過ぎ(東京大空襲のとき品川近辺は奇跡的に戦災をまぬがれたという)戦後になってもかなりの神社仏閣がその周辺にはあった

そしてそういった場所ではどこかしらでお祭りや縁日が開かれていたという 修子の記憶では「大体3日に1回くらいはどこかでやっていた」という

それはすごい話だ 大体どこの土地でも祭りってせいぜい年に2~3回くらい お祭り好きの高円寺でさえ年に4回だけだ

前の話で「まるでショッピングモールの中に住んでるみたいだった」と紹介したが、これでは「カーニバル会場の中に住んでる」ような話だ そういう祭りの縁日を回るのも修子の大きな愉しみだった 縁日にはさまざまな露天が出ていた 食べ物を売る店、子供用の玩具やお面などを売る店 たとえば色々な柄の小さな布切れを束ねて売っている店もあった

「きっとお人形なんかを作る人が買っていったんだと思う」 修子はそう語る

そして露天だけではない そこにはエンタテイメントも・・・見世物が出ていた

僕の子供のころの武蔵野ではそういったものは目にしたことがない 一体どんな出し物があったのか? こんなものを修子が覚えている

「へび女という見世物があったんだ 見にいくとそこには台の上に乗った女の人が上半身をゆらゆら揺らしながら手に持った小さなヘビの皮を少し剥いで口に入れていた 口上では”この女は生まれつきヘビしか食べられない”とあった」

ところがその翌日、昨日の見世物のことも少し気になって同じ縁日の会場に行ってみたらもう縁日は終わってすっかり静かになってた境内・・・その外れに誰か居たので寄ってみると 昨日ヘビを食ってた女性が七輪に火をおこしアジの干物か何かを焼いているのを修子は目撃してしまった

「あれ?ヘビしか食べないんじゃなかったっけ・・・」

ヘビといえばこんなエピソードもある やはり他の見世物で大きなヘビを見せ付けてる男がそれを腕に絡ませながら「どうだ、このヘビ誰か触れるかい?」と得意げに見せびらかせていた そこに居た誰も怖れて手を出す者は居なかった ところがそこにすっと進み出た1人の少女・・・もちろん修子だ なんのためらいも無くすっと腕を出すとそのヘビをぎゅっと掴んだ それには相手もちょっとびっくりしたみたいだ

「その時の感触を覚えてるよ ヘビってヌルヌルしてるのかと思ってたら冷たくてザラザラしててまるでワイアーロープを触ってるみたいだった」と修子は回想する

見せものも大掛かりになると「お化け屋敷」なんてものがあった いかにも恐ろしげに造られたその小屋に入ってみた 中からは「キャーッ!」という悲鳴も漏れていたのか・・・ところが修子が中に入ってみたらちっとも怖くはなかったという どちらかというとなんだかゲームセンターみたいなものだったのか・・・ある場所に来るといきなり上からロープに吊るされたお化けの人形がサーっと降りてきた それを見た修子は何のためらいもなくそれに飛びついてぶら下がった すると突然上の方から男の声で「こらーっ!」という怒鳴り声が聞こえた

「そっちのほうが怖かったよ」 と思い出して修子は笑う

高円寺ライブハウス ペンギンハウス

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