祭りの縁日には色々な店が出るがその中で威勢のいい口上を入れながら売る商売がある これを「啖呵売」という
今ではすっかり廃れてしまってかわりにテレビの「ショップチャンネル」なんかで毎日放送されてるあれ・・・
「さあ、この最新式クリーナー!通常なら4万はするものを今日は何と特別価格!フィルターもワンセットおまけして・・・たったの・・・19、800円!!」
それの原型となったんじゃないかという口上・・・映画「男はつらいよ」でフーテンの寅さんがよくやっていた「ヤケのやんぱち日焼けのナスビ、色が黒くて食いつきたいが・・・あたしゃ入れ歯で歯が立たないよっとくらあ~!」みたいなスタイルだ
今でもわずかにそれを継承する人が居るようで、僕も子供のころ見た記憶がかすかにあるバナナの叩き売り・・・こんな感じだった
修子が通った縁日にもそういう啖呵売が出ていた
瀬戸物の叩き売りが出ていた テキヤの男性が口上を並べながら品物を売ろうとする ところが客の財布の紐はなかなか固く全然売れない そのうちしだいに焦りが出てきたのかヤケクソになったのか男はつい勢いで10枚くらいの瀬戸物をまとめると
「えーい、こうなったらもうヤケだ! ・・・これ全部で1円!!」
と言ってしまった するとそこに間髪を入れず勢いのある声で「買った!」と声をかけた1人の少女が居た もちろん修子である
渋い顔のその男に1円を渡し大量の瀬戸物を抱え意気揚々と家に帰るのだった
縁日のほかにも修子が楽しみにしていたことがあった それは都電に独りで乗って品川から北の方角にある増上寺や銀座に行くことだった
その頃銀座といえば戦争の傷跡もだいぶ癒えて再び「花の都」と言われもちろん全国のどこからでも憧れの街だったわけだが、そこから都電で数十分くらいの品川に住んでた当時の修子にとってもそこはちょっと遠いような特別な「都会」だった デパートの中をぐるぐる巡ったり屋上で遊んで・・・また独りで都電に乗って帰る そういうことをたびたびやっていた
方や増上寺の方にはまったく違った目的があった 当時の(今でもそうだと思うが)品川には「空き地」というものがまったく無かった あったとしても元々海辺の塩分の多い砂地だったので草なんか全く生えていなかった だから原っぱに行きたくなるとまた独りで都電に乗って増上寺まで出かけた そこには広大な敷地がありその一角にたくさん草が生い茂る広い原っぱがあった そこで一日独りっきりで遊ぶのが修子の習慣になっていた 生えているクローバーの花を集めて花冠を作ったりそこらに居る野良猫と遊んだり・・・それは都会に住む少女にとっては贅沢なほどの自然環境だった
ところが、ある日突然その原っぱをぐるっと取り囲むようにして高い塀が巡らされ「立ち入り禁止」の看板が立てられた 修子のユートピアを奪ったものはその後ニョキニョキと鉄骨の足を上へ上へと伸ばしていった その頃の東京の、いや日本のどこにも無かったとてつもなく高い建造物が建てられた それが今もある高さ333m の「東京タワー」だった
そしてこの日を境に修子の原っぱ遊びも終焉したのだ
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