僕の吉祥寺話 57

高田渡といえば「酒」・・・それは「鬼に金棒」「猫に鰹節」と同義語くらいセットになっていて、特に晩年の彼しか知らない人ほどそういうイメージを持ってるだろうし・・・まあそれは当たっている
特に最後の方の何年間の彼はシンガーとしてよりも呑んだくれとしての姿のほうがクローズアップされてて、それに彼自身も甘んじてたようなところがある
しかし、むかしの彼を知っているたとえば中川砂人氏などは「昔の渡は酒なんか飲まなかった」と証言している
酒を飲むようになってから、その後の彼には常にそれにまつわる「武勇伝」のようなエピソードが絶えることがなかった
「酔ってステージで演奏中に寝た」「同じく吐いた」「お客と喧嘩した」「ほとんど演奏はせず喋ってた」「2、3曲やっただけで引っ込んだ」などなど・・・もうこういうネタは尽きない人で、お客もなかばそういうシーンをむしろ楽しみに待っていたというような状況も確かにあったよしんしょううだたこ

だから後期の彼のステージは良く言えば「志ん正」の高座みたいな・・・あるいは「たこ八郎」のパフォーマンス(?)を観るような好奇の目で捉えられるようなことになってきた

テレビに引っ張り出されれば、ほとんど「見世物」みたいな扱いで「愛があった」と言われるんだろうなぎらさけど、なぎらけんいちや坂崎幸之助などのほとんどサディスティックな彼に対する態度は世間の彼に対する評価そのままになっていた気がする

もちろん、当の本人が一番悪いのだ 僕は以前地方に歌いに行ってその先で出会ったある人物の話を聞いたことがある その人物は地方都市で小さなお店をやっていて、高田渡に心酔するほどのファンだった そこで、自分で企画してちゃんとギャラも用意してお客も沢山動員していざ当日・・・例によってベロベロに酔っ払って出現した渡は2曲くらい演奏すると「今日は調子が悪い」と言ってそのまま引っ込んでしまったそうだ 彼は「渡さんにはちゃんと歌ってほしかった」・・・そう残念そうに語っていた

高田渡がもう身体もとっくに限界を超えていて医者からも何度も「最後通告」みたいなことを言われワタルッチながらも結局酒から離れられなかったのはなぜなんだろう・・・

ある日、彼はぽつんとこんなことを呟いた 「僕はさ、本当はちゃんと学校出てジャーナリストになりたかったんだよ 今みたいな自分じゃなくてね・・・」

そんなことを呟いていた彼がふと静かになった いつの間にか僕の店のカウンターでうとうとと眠ってしまったようだ やれやれ・・・続く

高円寺ライブハウス ペンギンハウス

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