仲田修子話  11

彼女の従弟たちに対する無茶ぶりはこれだけでは無かったようで、たとえば当時彼らは陰で彼女のことを「クマ」と呼び、修子に出会うと「クマが出た!」と本気で怖がっていたと大人になって修子は知らされた その時の感じは「姿を見ただけで足が震えた」ほどだったという

忍者遊びにもはまった

当時「貸本屋」で借りてきては夢中になって読んでいた白土三平の「忍者武芸帳」その中に出てくる忍者にすっかり憧れて「将来は絶対に忍者になる」そう心に決めて日々忍者になる訓練を密かにやっていた といっても五寸釘を手裏剣に見立てて投げる練習をしたりお寺の墓地をなるべく早く走るトレーニングをしていたくらいだったが、中学生になっていよいよ忍者への思いがつのり当時赤羽に「忍者道場」というのがあると知りぜひ弟子入りしようと出掛けたのだが、そこがただの居酒屋だと知りようやく「忍者という職業は無いのか」と悟った

こんなエピソードも聞いた

当時修子の家の通りを挟んだ向かいにあった家に修子と同級生の男の子が居た なんだかとても弱い子でいじめるとすぐ泣くので面白がって修子はしょっちゅういじめていた ある日その家の父親があまりのことにハラを立てて怒鳴り込んできた それを修子の父は「子供の喧嘩に親が口を出すな!」と一喝 追い返してしまった

また向かいに家には若い男たちが何人も住み着いておりその男たちが当時流行っていた「ヒロポン」(覚せい剤のようなもの)を打ったあとのガラスのアンプルを路上にぽいぽい捨てるのにを修子の母が怒って「一体誰が掃除してると思ってるんだい!」と怒鳴りつけ、それに対してむこうが「うるせえババア!」と怒鳴り返しても一向にひるまなかったという

やがてその家・・・ヤクザの親分だったのだが・・・はいつの間にかそこから引っ越していってしまったそうだ 仲田家の完全勝利だった

ここまで書いてくると修子という少女がまるでただ粗暴でまるで野生児のような人間だったと皆さんが思い込むと思うので別のエピソードも加えておく

あるとき「百人一首」にはまった修子はなんとわずか四日間ですべて覚えてしまったという それはその歌の内容ではなく「音」として覚えてしまったそうだ あとことわざや格言もすぐに覚えてしまう 小学校低学年の頃には落ちこぼれるほど勉強も出来なかった修子の大脳がここらへんからいよいよ「覚醒」し始めたようだ

小学校の成績も5年くらいから急に良くなってきた そのきっかけが「つるかめ算」(これ今覚えてる人居ます? 僕はもう忘れてました 解説はこれを→つるかめ算)で、これを教科書を読んで学校で教わる前に覚えてしまったという 4年生のころには「芥川龍之介」(いも粥、羅生門)や「夏目漱石」(坊ちゃん)などの小説などを読みはじめていた

いよいよスーパーガール仲田修子にスイッチが入った!

しかし・・・その一方でただの秀才ではない彼女の別の姿もお伝えしないわけにはいかない

それは・・・

高円寺ライブハウス ペンギンハウス

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