仲田修子話 41

修子は目を覚ました・・・生きていた

気が付いたのは自殺を図った場所の近く 地元にある病院の病室だった

病院の説明では2日間ぐらいは意識不明だったそうだ 助かった修子が聞かされたのはこういう話だった

彼女は睡眠薬を飲んでそのあと朦朧として土手から沼に落ちたらしく、そこへたまたま営林署の職員2人が通りかかって沼のほうからバシャバシャという水音が聞こえてきたので行って見ると沼の中で若い娘が泳いでいたので助けて病院に連れてきたということだ それはもう本当に偶然だった もし時間がもっと遅かったら 発見が遅かったら・・・確実に助からなかったところだった 早目に処置がされたことで大事には至らずそのあと2日ぐらい入院して修子は退院することができた

その連絡を聞いて母が弟に連れられて迎えにやってきた その道中母は修子のことを心配するどころか窓から外を眺め「松島が見える いい景色だねえ」と楽しんでいたとあとで弟から知らされて修子は呆れてしまう

東京に戻った修子は見るに見かねた母親の仕事仲間の人に紹介され順天堂大学病院の神経科に通院しはじめた そこの医師の阿達というドクターにこれまでのいきさつとか母のこととかを話したら「それは酷過ぎる、今度あなた母親にここへ来るように言ってください」と言われた それを受けて渋々出かけた母は行って阿達先生と話をして帰ってくるとこんなことを言う「あの医者は気がおかしいんだよ、あたしのことを悪く言う!」

医師は「娘さんがこういうことになったのはすべてあなたのせいなんだ」と言ったが全く聞く耳を持たなかった

結局修子は診察の結果かなり重症だとされ3ヶ月くらいそこに入院することになった

入院生活・・・ふつうは辛くて退屈なものだが修子にとってはそれ自体がすごく楽しかった 働かなくて済むし食事もちゃんと取れたしそのとき会社の正社員だったので保険の負担も少なく入院費の負担も少なくて済んだ 相変わらず不安感と「*自殺念慮」に囚われていた ちょっと「統合失調症」と間違われそうな症状があった

*自殺念慮=死にたいと思い自殺に思い巡らすうつ病の一種

しかし入院していたときの彼女の思い出はそれまでの「モノクロ」からやっと抜け出し「カラー」になった

高円寺ライブハウス ペンギンハウス

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