仲田修子話 27

ある日隣の中学校から何人かの生徒がやってきて「仲田という女生徒は居るか?」と言ってきた 修子が顔を出すとちょっとガラの悪そうな連中がこんなことを言う 「うちの学校の番長があんたに会いたがっている」

そう言われてそもそも番長って何なのか知らなかったので修子が「番長って何?」と訊くと「不良の親玉だ」と言うので「不良には興味がない」とあっさりと追い返してしまった

中学の1年間で彼女が生み出したさまざまな武勇伝は彼女の卒業後最低6年間くらいは語られていたそうだ それは修子より年下の従兄弟たちから聞いた話だが、学校に行くと 「おい知ってるか?」・・・と「無茶苦茶勉強が出来て無茶苦茶凶暴な女子生徒が居た」という伝説が伝えられていたという

勉強もだが修子はスポーツもかなり出来た 学校で対外試合があると「バレーボール」以外はよく出させられていた 修子の通う中学校は勉強優先な校風でスポーツは全然重要視されてなくて学校にとってはメイワク そういう試合があると「あいつ出しとけ」というような感じで出されていたようだ

しかしその成績がスゴかった ソフトボールでは打率8割 バスケットボールはルールもほとんど知らないのに出場した 品川区の水泳大会では2種目(自由形)で優勝 水泳は自己流 人の泳ぐのを見て真似ていて覚えてしまったそうだ 試合の結果や成績は本人にとってもどうでも良いことだったし、 彼女が優勝しても周りの誰からも何も言われなかった

陸上の持久走(4キロくらい)では常に女子ではいつも1位 肺活量は当時で4000ccもあったそうだ ちなみに現在でも16歳の女子の平均肺活量は2700ccだそうだ

父親はますます教育パパになっていて修子が成績が良くて学級委員になったときは本人には何も言わず会社では周りに自慢していたらしい(それは彼女が大人になってから知ったそうだが) そして口癖のように相変わらず修子には「キューリー夫人みたいになれ」と言い続けていた

父親は数学が得意で「連立2次方程式」なども「こんなのが解らないのか」とすらすらと解いてみせるほどの頭脳の持ち主だった

修子の学校での成績はどんなだったのだろうか 本人によると数学、物理、生物、歴史、国語はすごく成績良かった それに反して地理と英語は全く苦手だった

英語はそれを教える教師の教え方が問題だったようで、ただ試験で点を取るための教え方をするだけで「定冠詞」とかいう用語をやたら並べて詰め込ませるような教え方だった 修子の目からも本人がまったくやる気が無く勝手に労働疎外を起こしているようで・・・そんなヒステリックな女性教師のおかげで英語は大嫌いになってしまった(そりゃ誰でもそうなるよなあ・・・)

地理のほうは元々極端な方向音痴だった修子にとってはわけのわからない世界だったようだ 空間的な把握が地図を見ても出来なかった 地理に関しては小学校1年生のレベル以下だったという

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