仲田修子話 30

さて、ここまで書いてきたが今回仲田修子にあらたにインタビューをしていて僕はある疑問を感じた それはその頃のことに関しての僕の質問に彼女がはっきりと答えられないことがたびたびあったことだ たとえば「それはいつ頃有った事ですか?」というような問いにしばらく考え込んでから「わからない」とか「よく覚えてない」と答えることが何度もあったからだ
ここまで仲田修子話を読んでくれている皆さんならお判りかと思うが、幼小期から小学生時期のことに関しての彼女の記憶力はものすごくて、色々なことを鮮明に覚えていたことを考えると「どうしたのだろう」と・・・ 実際僕は本当にちょっと戸惑ってしまった

しかし、これにはある理由があった これからの話はそれについてお伝えしていくが・・・正直ちょっと気が重い

では・・・

中学生になって最初の正月も過ぎたある日、修子の父親豊三郎が入院することになった はっきりとした病名は母の千代があまりにも馬鹿だったのでよくわからないままだというが、すい臓に病が見つかったようだ そして警察病院に入院することになった その病院に父親を見舞いに行ったのか行かなかったのか・・・そのことも修子はよく覚えていないという ただ、ほぼ毎日母が病院から戻ってくるときお土産にカステラを持ち帰ったので、あとでそれは見舞いの品だったのだろうと推理されたが、当時の修子と弟はただ毎日美味しいお菓子が食べられることを喜んでいた

父親が入院して二週間くらいたったある日、その日は2月のとても冷たい風が強く吹く日だった・・・とそれだけは修子ははっきりと覚えているという 不意に父親の妹つまり叔母が学校までやってきて修子と弟を連れ出した とにかく今すぐ急いで病院に行けという

実はその前日父親は手術を受けていた しかし、まだ修子たちには何が起きているのか理解が出来ないでいた
病院に到着し父のいる病室に向かう・・・するとその病室から母がいきなり泣き叫びながら飛び出してきて
「お父さんは死んだよ!」とわめいた

お父さんが  死んだ

その言葉を聞いた瞬間・・・そのときのことははっきりと鮮明に覚えているという
それを聞いた瞬間、悲しいというよりは自分が立っている地面がいきなりガラガラと崩れ落ちるような感覚が襲ってきて、修子は目眩がして倒れそうになった

意識が・・・朦朧として・・・

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