仲田修子;ダウンタウンブルース  10

「かけもち」、というのは二軒の店を三十分毎に往復して稼ぐ事で、ナイト、というのはそれが終ってから、夜明け近くまでやっている店で夜中から音出しをして四ステージ歌う事だった。
「星さんは一ケ月どのぐらいギャラもらってるんですか?」
私は訊ねた。
「うん、今月はかけもちとナイトをやってるから、四十五万位かな…」
「ヒエー!すごいですね、そうすると一軒十五万位貰えるんですか?」
「うん、大体そのくらいだね」
その頃の月四十五万の収入といったら…一流企業の重役なみか、あるいはそれ以上か?私は目も眩むような思いがした、それと同時に自分もいつかは、と淡い希望が湧いてくるのだった。コーラ
私はしょっちゅう星さんの“ナイト”で出ている店に通った、コーラ一本と水だけでねばって…彼は色んなバンド用語を教えてくれたり、ギターの色んな弾き方もどんどん教えてくれた。
私は相変わらずピアノにかじりついていた。
習い出して七ケ月程たち、バイエルもほとんど終りのページに行きついた頃、突然譜面の“長さ”だけは読めるようになった自分に気が付いた。
私はかなり苦労して、それまでただ歌詞にコードネームをつけただけの譜面?を、ひとつひとつ、ギターで音を拾いながら、オタマジャクシを書き、小節線をきちんと書き込んだ本当の譜面に直していった。そして、店で歌う時はひたすらリズムボックスの「光」を見た、一小節の頭のドンカマ一拍ごとに一回ずつ、赤い小さなランプが光るのだった。
私のデタラメ、は少しずつ改善され始めた。
まだお客が一人も来ない時、私は吉田さんに伴奏してくれないか?と頼んだ、曲は「ジャニーギター」だった。リズムボックスをルンバ、にセットして、イントロは八小節で、と頼んだ。
譜面にかじりついて私は歌った。すべてがうまくいった。ただの一ケ所も食ったり、吐いたりしなかったのだ。
「吉田さん、私、大丈夫だった?」
「うん、全然間違ってなかったわよ」
彼女は言ってくれた。
「私、吉田さんの歌って一回も聞いた事無いけど、何で歌わないの?」
「うーん、じゃ一曲歌ってみようか?私のオリジナルなんだけど…今、お客いないから」
彼女は歌い出した。むろんピアノを弾きながら…、私はびっくりした。彼女の声はあまりにも弱々しく、小さく、蚊の鳴くような声というのはこういう事か、と思ったくらいだった。
平和を運ぶハトが傷ついて、とかいう歌詞だったけれど、マイクを使っているのにもかかわらず、吉マイク田さんの声はあまりにも小さくて、ほとんど良く聞き取れなかった。
「良い歌ですね…」
私はとりあえずそう言った。
「そう?ありがとう」
彼女は相変らず、どこか遠い所を見ているような目で答えた。

 高円寺ライブハウス ペンギンハウス

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