仲田修子話 33

父の死後修子はもう勉強するどころの精神状態ではなくなり授業中もずうっとボーっとしていた 周りもそういう修子に一切触れず 修子が乱暴をはたらいたりしても何も言われず腫れ物を扱うような感じになっていた それは卒業するまでずうっとのことだった そしてそれ以降の中学校の思い出は修子にはほとんど無い

結局修子が将来のことも考えたりして一生懸命勉強をしたりしてきたことは父がそう期待し修子に常に求め続けてきたからだった その父が居なくなり彼女のモチベーションを支えていた柱も土台も無くなり、ペラペラの壁だけが残りそれはちょこっと風が吹いただけでいとも容易く倒れてしまいそうになっていた

父の死後、社宅だった自宅からも出ていかざるを得ない状況になり 当座の居場所として仲田家は元の自宅からわりと近くにあった(聖跡公園のあるあたり)わずか四畳半一間風呂無しのアパートに引っ越した

母は仕方なく保険の外交員になってみたが元々彼女は字も自分の名前意外は書けなかったほどの能力だったのでそれもすぐに失業してしまい、またも呆然としつつ相変わらず宗教にのめりこんでいた

ただ、ひとつだけまだ明るい素材はあった 前回でも述べたとうり当時の仲田家には父親の遺産として家が一軒買えるくらいの財産が残されていた

それだけあったのだからたとえば母の千代がもう少し頭がはたらけばそれを元手になにか商売を始めるとか家を買うとか何かしらの道があったはずである

ところがその”道”は閉ざされることになる

ここから先の話は修子が今まで誰にも語ったことのないものだ

この話を聞いたとき筆者もその内容に衝撃を受けた

修子が誰にも語らなかったのはそれがあまりにも凄い内容だったからだ

今ようやくその重い扉を開くことにする

高円寺ライブハウス ペンギンハウス

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