仲田修子話 50

その当時、修子たちが通っていた他のレズビアンクラブのママから「あなたに店を出してあげる」と言われたり ほかにも赤坂の芸者をやっていた人から「一緒に住まないか」と誘われるなど・・・その界隈でも修子はかなりモテてたのだ

そのレスビアンクラブには色々な芸能人も来ていたが、大抵の人間ははすごく下品で態度が悪かった 当時、飛ぶ鳥を落とすくらい勢いのあった有名な作曲家も来てたがとにかく彼は誰に対しても口が汚かった こういう業界人たちのほとんどは判で押したようにオフステージ・・・つまり自分の得にならない相手に対してはすごく態度が悪かった ある映画やテレビでも売れっ子だった「清純派」の大女優が「なんだよお!」と人に悪態つくところを見たことがあるが・・・こういう場所は彼らの「解放区」だったのかも知れない

こんな客も居た 金持ちそうな50~60代くらいのオヤジが若い娘を伴ってやって来ると修子を指名し「この娘とチークダンスを踊ってほしい」というのでそれに応じてその女性と踊っていると「そんなんじゃなくてもっと濃厚に!」とせがむので修子は仕方なくそのリクエストに応えた それを食い入るように見つめていたそのオヤジ・・・チップもくれないようなケチな奴だったが・・・今になればああいう趣味の人だったんだなあと修子は思う

ゲイの世界にはさまざまな経歴を持つ人も居た 某有名なゲイバーで人気のあったゲイボーイは戦時中は軍隊で仕官だったそうで、その頃の話をたまにするときは「私おふんどしをしてたのよ!」とか言って客にウケていた

今思えばそういう場所に来ていた人たちは皆どこか満たされてなくてかわいそうな人ばかりだったんじゃないか・・・と修子は回想する

レスビアンクラブでもかなりの売れっ子になっていた修子はその頃は店に来た多くのお客からチップをたくさんもらっていた 千円札とかが一日が終わる頃にはポケットにかなり貯まっていたのである 仕事が終り夜中の2時過ぎにタクシーに乗り・・・家に着く その時間には母も弟ももうとっくに眠ってたがそこで修子は電気をいきなり点けて、もらってきたチップを床にばらまくのだ・・・するとその音に気が付いて起きてきた母が這いつくばって必死にそれを拾う・・・ それを見ているのが当時の彼女の唯一の発散だった

しかし上には上があるものだ ある日彼女が勤めるレスビアンクラブの経営者・・・その人物は現役のホステスで、彼女は自分のお店に来る前の時間は別のクラブでホステスをやっていたのだが ある日彼女がその店に居たとき、その時代なら誰でも名前を知っている某右翼の大物が店にやってきた そして彼は秘書に1万円札で1億円持ってこさせて・・・その1万円札すべてを店中にばらまいてそれを必死で拾う連中を見て楽しんでいた・・・その話を経営者の女性は修子たちのいる店に来て話したのだが、それを聞いて修子はびっくりした
「何て浅ましいやつなんだろう」と思ったという

高円寺ライブハウス ペンギンハウス

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