仲田修子話 76

今ではその店の名前も覚えていないがなぜかその店は「ホストクラブ」と言われていた それが「業種」だったのか「店名」だったのかも修子は覚えていない それはいいのだがいざ店内に入るとその時代でも修子が知っていたいわゆる「ホストクラブ」とは全く違うものだった まず「ホスト」なんて居ないのだ ベストを着たウエイターの男子が何人も居ただけなのだ しかもその店の客層には家族連れとかカップルとか男性同士とか・・・およそ普通はホストクラブに来ないような人たちが来ていて、一応ダンスフロアなどもあったのだがホストクラブというよりはインテリアも含めてまるで「ファミレス」みたいだった 怪訝に思い修子は訊ねてみた
「あの・・・ここ”ホストクラブ”なんですか?」
すると従業員は胸を張ってこう答えた
「はい!ホストクラブですよ」

その店の営業時間は夜の12時から朝方まで 仕事自体はやたら緊張感とプレッシャーがあった前の銀座の「アーサーベル」に比べると、店や客層の雰囲気自体が田舎独特の長閑さがあってリクエストするお客もうるさく注文や文句を言うお客も居らずとにかくそこに来ている人々は皆楽しそうだった 修子も気分的にもずいぶんと楽だった しかし・・・

12時から30分ずつのステージを休憩を挟んで4回 朝の3時半にその店での修子の仕事は終わる 店もそれで閉店になるので、そこからまた駅まで30分歩く 駅に着くとそこは駅とはいえど駅舎も待合室もそれどころかベンチすら無くてしかも季節は真冬

夜明け前の一番寒い時間 埼玉のかなり内陸では多分気温は氷点下だったろう・・・黒いケープを肩からまとい寒さに震 えながら1時間ほどそこで始発電車を待つ やっとやって来た始発列車に乗り込む乗客は修子以外は釣りの格好をした人が数名くらい また電車に揺られ家に戻る 電車の中で冷え切った身体を少しずつ暖めながらようやくちょっと人心地になる

電車に乗っているだけでも1時間くらい 歩く時間を入れると1時間半 往復で3時間を毎日費やして仕事に通う・・・そういう毎日が続いた

家に戻るのはもう朝になってから それから修子は彼と一緒に近所の定食屋に行き二人で「朝定食」を食べ(修子にとっては夕食だったが)家に戻り眠るという日々だった

「アーサーベル」に居たときから仕事の辛さやしんどさは山ほどあったが、修子はそういう愚痴などはススムにも誰にも一切言わなかった

「だって言ってみたって彼にはそれをどうすることも出来ないし、余計な心配かけるだけだし」 そう言って修子は微笑んだ

高校を中退してから一家の生活や経済・・・そのすべてを自分の一身で背負ってきた彼女のそういうところは、それから何十年経った今でも少しも変わっていない

高円寺ライブハウス ペンギンハウス

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