仲田修子話 75

ある日、お客で学生時代に「軽音楽部」に入っていた男が修子が歌ってる最中に「あ、食ってる」「今吐いた」とか一々声を上げて指摘して嫌がらせをしてきた 修子はそう言われて怒りがこみ上げてきた

「こいつを殺して刑務所に入るか・・・」と思ったほどだった

*解説:ここでの「食う」とはたとえば4/4拍子で出来てる小節を3/4または2/4などで演奏してしまい次の小節に行ってしまうこと 「吐く」はその逆

思うにその男にとってみれば昔少しばかりでも音楽に関わっていたことのある自分が、今はサラリーマンになってる境遇に不満があって、その自分の目の前で歌っている修子の姿に嫉妬したのじゃないのだろうか

本当に毎日が戦場だった リクエストは次々に来るし・・・シャンソンからフォーク、カントリー果てはビートルズまで・・・演歌以外(その店では演歌は禁止されていた)のあらゆるジャンルの曲を歌わされた

家に帰った修子は必死に覚えたそのリクエストという“弾”を弾倉に詰め込み、翌日はまた出撃する・・・そういう戦いが日々続いた

そして歌い続けておよそ1年経ったとき、修子は「アーサーベル」のほうから「もうそろそろ辞めてほしい」と言われた

これには何か問題があったわけではなく、普通こういう店では長くて2ヶ月くらいで弾き語りの演奏者を入れ替えるのが常識で修子の1年間というのはむしろ異例なほどの長い期間だったのだ

そこで修子は弾き語りの同業者などのネットや口コミを使って次の仕事を探した すると1軒の店が見つかったのだが、今度の店は今までの「アーサーベル」とは色々なところが違っていた いや・・・違いすぎていた

まず場所なのだがそれが埼玉県のどこか・・・その場所を修子は今ではもうすっかり忘れてしまったと言うがとにかくまず西武線富士見台から池袋に出てそこからJRの「大宮駅」まで行ってそこでまた別の鉄道に乗り換えて、さらにそこから15~30分くらい電車に乗って名前も聞いたことないような駅で降り、さらにそこから徒歩で30分くらい行ったところにその店はあった

途中の道は何も無く真っ暗・・・田舎の道をとぼとぼと歩くとやがて行く手に畑の真ん中に明らかにそこには似つかわしくないものが現れた ネオンとか電飾でやたらギラギラ派手に光る建物・・・それが修子の新しい仕事場だった

高円寺ライブハウス ペンギンハウス

出演するには?

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする