仲田修子話 134

修子たちが出て行って演奏すると観客席からはものすごい拍手と声援が来た オオウケだった そして演奏が終わっても「アンコール」の声があちこちから・・・しかしここはオープニングアクトの仁義としてそれは断って修子たちはステージから降りた

そのあとステージに上がったのが「T」たち あんなに呑んでて大丈夫なのか? そう思ったら案の定・・・その演奏はどうしようも無かった 1曲も演奏しないうちにメンバーの誰かが弦を切る 張り直してまた始めると今度は別の誰かが切る・・・結局1曲としてまともに演奏もできずにステージに居る彼らを見て、このイベントの主催者が苦々しい顔で「なんて奴らだ!」と声を上げた

この一件があってから修子はその界隈に居る連中を強い軽蔑の目で見るようになっていた あのコンサートから何日か後、たまたまある場所で「T」とばったり遭遇したことがあった 向こうは何となくこちらを窺うような目つきで近付いてきて修子が歌ってた曲の一節を口ずさんでいた
「国立第七養老院~~」
修子は一切それに応えず無視をした

そしてあの「M」もその近辺に関わっていた人物だったのだ

「フォーク」などと言って最初は貧しい者弱い者たちの代弁者のようなことを言ってた者たちが、気がつけばちょっとばかり小金を貯めていい服を着て高価なギターを持って、いつの間にか「ニューミュージック」などと言われはじめ、湘南のお洒落なカフェでお茶を飲んだりしている・・・ただの芸能人になってゆく・・・そして本当の「フォークソング」なんてもう”時代遅れ”と言われ・・・忘れ去られる

そういった流れを修子は本当に「情けない」と思った

激動の思春期を過ごして・騙されたり・裏切られたり・蔑まれたり・・・極貧の底からやっと這い上がったときに最愛の肉親を突然失い・・・それらの経験を経て本当の「ブルース」が彼女の中に溢れるほどに満ちているのを感じていた

「その気になってさ;作詞作曲 仲田修子」

そしてある決意をした

某日、北沢のアパートに数人の仲間が集まった 修子を中心に 有海、増田、矢島、瀬山それに修子の友人でフォークシンガーの「K」その彼と一緒にユニットを組んでいた「H」、あとこの北沢のアパートにちょくちょく遊びに来ていたやはり弾き語りシンガーの「A次」という若者・・・皆普段から修子の考え方に強く同調してきた仲間たちだった

全員が揃ったところで修子が皆を見回しこう言った

「今日は皆に相談したいことがあるんだ」

高円寺ライブハウス ペンギンハウス

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