仲田修子話  78

仲田修子著;ダウンタウンブルース「13」より

修子がやってきたその店は錦糸町の、クラブとか何とかサロンとか飲み屋とかが何軒もかたまってある一画の中にあった。地下一階で、二十坪程の広さだっただろうか?内装は古ぼけて、ソファはところどころ擦り切れ、何だか店全体が疲れ果てている…そんな感じがした。
マネージャーは三十代の、かなりハンサムな人で、こんな人が何でこんな所にいるのだろう?と思うほど紳士的で、知的な感じさえする人だった。バーテンダーは沖縄から出てきたという二十一才の陽気な男の子だった。そしてホステスは…全部で九人いた。一人を除いて全員三十は越えているな…と修子は思った。二、三人、四十ぐらいに見える人もいた。
クラブのホステス、というのから彼女が想像していたような人は一人もいなかった。お化粧がやたらに濃いのを除けば、華かな感じなど何も無かった。むしろ一人の若い子を別にして、何だかみんなひどくけだるそうで、投げやりな話し方をした、彼女達はひどく疲れているように見えた。
やってくるお客のほとんどが、やっぱり元気の無い人達だった。中年の人が多かった。彼等はボックス席で「疲れている」ホステスと低い声でボソボソ話し合い、修子のギターで二、三曲歌い、そして又、ボソボソ話して帰ってゆくのだった。ここにはあの銀座の会員制クラブ、の緊張感も無ければ、埼玉の「ホストクラブ」にあった素朴な陽気さも無かった。
通い出して二日目、まだお客が一人もいない時間に、修子は声をかけられた。
「先生、ちょっと歌いたいんですけど、弾いてくれませんか?」
その店では一人だけ若いホステスだった。
曲は演歌だった。その頃の修子は演歌ぐらいなら譜面なんて無くても、それどころか全然知らない曲の伴奏さえ平気で出来るようになっていた。メロディを聞けば次のコードがどうなるのか、ほとんど解るのだった。
彼女は二曲歌った。むちゃくちゃにひどい音程と、聞いている人の気分を絶対悪くするような変な金切声で。ただ、驚いた事に彼女の歌い方は「ルバート」ではなかった。一拍も食ったり吐いたりするどころか、昔の演歌に特有の、四分の四の曲の途中で突然四分の二の変拍子になる部分もちゃんとクリアした。
修子は今までずい分いろんな人の伴奏をしたけれど、ほとんどの人が最初の頃の彼女と同じ歌い方をしていた、けれど、お客がいくら食おうが吐こうがこっちはギター一本だけ、いくらでも上手に帳尻を合せてあげられたので、どこへ行っても修子の伴奏は評判が良かった。

挿入曲;「ネオンの街」 2005,5,28 ライブより

筆者脚注; この話は仲田修子筆の自伝小説「ダウンタウンブルース」をそのまま使わせてもらってます 書かれていることはすべて本当にあったことです 人称を「私」から「修子」または「彼女」に書き換える以外は一切加筆していません

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