今から34年前の1984年、ここ高円寺の地にペンギンハウスは誕生しました。そのオープン前、仲田修子をはじめとする当時の彼女のバンド「ミッドナイトスペシャル」のメンバーも、ここの内装工事に参加しました。今皆さんが踏みしめているフローリングの床は、私たちが自ら金槌を持ってクギを打ったものです。仲田修子もハンマーを握り締めていました。
そうやってようやく出来上がったこの場所、オープン当初はおしゃれな「カフェバー」でした。
それから34年・・・色々な時代の波に揉まれながらペンギンハウスは現在に至りました。今では皆さんご存知のように、毎日ライブが行われ一日平均4組以上の演奏者さんたちがここで汗を流し、自分達の演奏やパフォーマンスを真剣に表現する場になっています。
ペンギンハウスという「箱」を作ったのは私たちですが、そこに息を吹き込み時代の中に風を送り続けるという作業は日々、演奏者とそれを見守るお客さん・・・皆さんがやってくれていることです。
ペンギンハウスがこの「平成」・・・もうすぐ終わりますが・・・という時代に毅然とそそり立つ城のような場所であり続けるのは、皆さんの熱気と汗と思い入れと真剣さがいつも支え続けてきてくれているからです。
そして、今回このスペースのそれこそオープンから34年間ずうっとペンギンハウスのカウンターに立ち続け、まさに「顔」となってきたマスター「亜郎」の引退という皆さんにとってもショッキングなことが、今ペンギンハウスの内外に大きな衝撃波となって広がっています。
ただ、これはいつかはそうなることでした。本人も「そろそろ辞めたい」というようなことは漠然ではありますが、だいぶ前から口にしていたことです。
そして毎日一緒に仕事をしている私から見てると、最近になって彼の身体がかなりしんどそうな様子が目立ってきていました。持病の腰痛はちょっと無理をしただけで悪化する・・・だましだまし仕事を続けてきましたが、見た目は若そうでも、もう70歳近いのですから・・・。以前は全く無かった事務仕事のミスも最近は出始めました。
やはりもう「潮時」なのでは・・・そういうことが重なって今回の「決定」となった次第です。
しかし、最初にもお話したとおり「ペンギンハウス」という皆さんの城を作ってそれを守り続ける・・・これが私たちに与えられた使命だと思います。
今後は私ジミー矢島が主に役割を引き継いでいくこととなると思います。多分最初は不慣れなどから多くの皆さまにご迷惑やそ心配をかけることとなると思いますが、どうぞ暖かい目で、くれぐれも暖かい目で見守ってかつ「叱咤激励」していただきたいと思います。 私にとっても大切な、そして大好きな「ペンギンハウス」をこれからも皆さんと一緒に益々「素敵な場所」であり続けるために一生懸命努力意させていただきます。
どうかよろしくお願いいたします。 ジミー矢島