仲田修子話 88

仲田修子著;ダウンタウンブルース「23」より

七時ちょっと前、次々とバンドの人達がやって来た、修子は彼に言われた通りにし、ダンスフロアの真ん前、一番前の席に座らせてもらった。すぐに演奏が始まった。歌謡曲をマンボとかルンバとかにアレンジした曲が続いた。彼女はてっきりジャズをやるのだと勝手に思い込んでいたので少し驚いた。
ピアノの人は六十以上に見えるお婆さんだった。ドラムスはほとんど高校生にしか見えない神経質そうな少年だった。あとの人はみんな中年位で、バンマスは五十才位かな、と思った。
その頃の修子にはその演奏がうまいのかヘタなのか、良く解らなかった…絵理菜さんは楽屋に引っ込んでいる…自分は心臓がドキドキしてきた…何度も時計を見た。

ついに絵理菜さんがステージに出てきた。ピンスポが当り、ラメのドレスが光った、彼女がマイクを握るのと同時に司会の彼が叫んだ。
「本日の特別出演、高橋絵理菜!お送りいたします曲は、ダウンタウンブルース!」
イントロが始まった…修子はほとんど祈るような気持ちでそれを聞いた、八小節だ!四小節が二つだ!数えてくれ!私が言った通りにすればいいんだ!

彼女は間違えなかった、寸法通りに歌い出した。素晴しい声とフィーリングだった。これが本当に自分が作った歌なのだろうか?と思う程だった。修子はハラハラしながらもうっとりした。いつの間にかダンスフロアにいた三組がチークダンスを始めている…彼女は落ち着いて歌っているように見えた…ついに彼女は一番を歌いきった。さあここから八小節の間奏だ、イントロと全く同じフレーズだ!私がそう思ったとたん、トランペットがいきなりものすごい調子外れの音を出した、それにつられたのだろう、一瞬バンド全体がグシャグシャになった、修子も拍を数えられなくなった、やっと五小節目に何事も無かったように、テナーサックスがイントロと同じフレーズを吹き始め、自分も拍に乗ることが出来た。

しかし、絵理菜さんは…八小節が終る…歌だ、歌の番だ!…彼女は出られなかった。マイクを持ったまま立ちつくしている、危ない!

二番の歌詞は、「行くとこの無いこの私、誰か抱いてよ……」と始まるのだ、二小節待って、修子はいきなり大声で客席で歌い出した、「誰か抱いてよ、強くやさしく、あたたかく……」
私の声は聞こえないのだろうか?バンドの音に紛れてステージの上にいる彼女に届かないのだろうか?彼女は歌い出さない…修子はほとんど絶叫するように客席で立ち上がって二番を歌い続けた。

彼女は歌わない…ダンスフロアでチークを踊っていた人達が変な目で修子を見る、そして次々に客席に戻ってゆく…彼女は歌わない。眉間にちょっと皺を寄せて、もうマイクは下に降したままだった…二番が終った。修子の注文通りの派手なエンディングが長々と始まる…修子はソファにぐったりと座った。

挿入曲;「ミニー・イズ・ア・シンガー 」2002,7,10 大田区民プラザ大ホールコンサートより

筆者脚注; この話は仲田修子筆の自伝小説「ダウンタウンブルース」をそのまま使わせてもらってます 書かれていることはすべて本当にあったことです 人称を「私」から「修子」または「彼女」「自分」に書き換える以外は一切加筆していません

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