僕の八ヶ岳話 68

ところで、僕が勤めていた「アルパインカントリークラブ」である年に大きなプロジェクトが始まった それはこの敷地内に「スキー場」を作るというもの それまでゴルフ場だけでやっていたここは冬場はクローズしていた ゴルフ場の従業員たちは冬場は近くのほかのリゾートホテルへ派遣されたり、僕らフロントマンたちも冬場はそこの施設の管理の仕事や他の現場に回されて仕事をしていた だから冬は本当にヒマで楽な勤務だったのだ

ところが、このスキー場が完成してオープンした年から環境はガラっと変化した スキー場はそのコースの設計をした元オリンピック金メダリストでハリウッドデビューもしているオーストリア人のスキーヤー「トニー・ザイラー」の名前を冠して「ザイラーバレー」と名付けられた


そしてオープンすると・・・本当にびっくりするぐらいの大勢のスキー客が押し寄せてきた 当時若者に人気のあったお笑いコンビ「とんねるず」がやっていた番組「ねるとん紅鯨団」の集団お見合いコーナー(タイトルは忘れた)でこのスキー場が使われた直後からはもう爆発的に人気が沸騰して、土日のピーク時にはリフト2時間待ちなんてのが普通になってた もうバブルの真っ只中・・・日本中がウィンターレジャーに盛り上っていたのだ!

僕らロッジのフロントマンも目の回るような忙しさに巻き込まれた もう連日客室は満室 それでも予約を取りたがるお客を断るのがまた大変な仕事になった それまで冬場はお休みをしていた客室清掃のおばちゃんたちも駆り出された
「も~う!本当に忙しいったらありゃしない!」
そう愚痴るおばちゃんたちをなだめつつ、僕らフロントマンも夜勤明けはベッドメイクに駆り出された

そういう忙しい狂瀾怒涛の毎日の中で、ひとつだけ楽しみがあった それは僕ら従業員にはゲレンデリフトのフリーパス券というのが配られて、勤務時間外だったらいくらでもスキーが出来たのだ 僕は大学時代に少しだけスキーをやったことがあったが、それ以来全く遠のいていたのだが、せっかくなので滑ることにした 安いスキー板とブーツを購入してそしてゲレンデに出た これが本当に楽しかった 最初は初心者コースでヨタヨタしてたのだが、なにしろ毎日好きなだけ滑れたので次第に上達して、しまいには上級者コースの急斜面を直滑降で滑り降りるまでになった スピードは時速100キロに迫る その速度で板の上に乗っかって生身で滑る・・・このスリルは本当に快感だった

高円寺ライブハウス ペンギンハウス出演するには?

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする