仲田修子著;ダウンタウンブルース「25」より
その店で仕事をするのはあと一週間足らず、という時だった。まだお客は一人も入ってこない…相変らず敵対する二つのグループは別れて座り、雪乃派の中でミツコが何やらはしゃいでいた。
「ミツコちゃん、どうしたの?何かうれしそうだけど…」
修子は不思議に思って声をかけてみた、以前あんなに騙されて泣いていたのに、一体どうしたのだろう。
「ああ、先生、私、今度すごい『先生』に認められたんです!」
「何?そのすごい先生って」
「○○レコードの専属なんです。私の歌を聞いて、それで門下生にしてやるっておっしゃるんです」
彼女の声は弾んでいた。そしてその「先生」と、その人がヒットさせた曲というのを口にした…両方共聞いた事も無かった。もっとも自分が演歌の事を良く知らないせいかもしれないけれど…。
とにかく修子は驚いた。一体どうやって次から次へとそんな怪し気な「先生」を、どこから見つけてくるのだろう?そして、彼女は一生「夢」を追いかけ続けるのだろうか、どんな犠牲を払ってでも…修子は考えた。絵理菜さんにこのミツコの情熱の十分の一でも良い、ミツコの見ている「夢」があれば彼女はとっくに…ぼんやりとそんな事を考えていた。
「何だか上の様子がおかしいな…」
マネージャーが言った。
地下一階のこの店の階段を上った所はアスファルトの道路というか、ちょっとした空き地になっている…そこから何か人の声のようなものと、人々のざわめき、のようなものがかすかに聞こえてきた。
「ちょっと見てくるわ」
マネージャーは階段を上って行った。すぐその後に修子も上へ行ってみた。
その空き地にはちょっとした人だかりが出来ていた…みんな近所の店のバーテンだのホステスだのといった人達だった。そしてその人だかりの真ん中にちょっとした空白があった。そこに一人の老人が立っていた。彼は痩せこけた体に穴だらけのセーターを着て、やはりボロボロな穴だらけのコーデュロイのズボンを履いて、汚い素足にビーチサンダルを履いていた。彼は目が両方共潰れていた。そして彼は歌を歌っていた、両手でギターを弾く真似をしながら…イントロも間奏も全部、彼は口で言った。
「チャンチャカチャンチャカチャンチャカチャンチャカチャン……」
見えないギターを弾いている彼の指は両手共、何か関節の病気なのだろうか?数本ずつ変に捩じ曲っている…彼はひたすら歌い続ける…何も言わずに…歌は、昔の歌謡曲だった。歌い方は「ルバート」だった。そして声は良くなかった、嗄れきった老人の声でしかなかった、ただし音程だけは良かった。
彼の前には紙の箱が一つ置いてあり、既にその中にはかなりの数の百円玉や五百円札、それに千円札まで数枚入っていた。
挿入曲;「ホンモク・ジャンキー・ ホンキー・ブルー」2005,5,28ライブより
筆者脚注; この話は仲田修子筆の自伝小説「ダウンタウンブルース」をそのまま使わせてもらってます 書かれていることはすべて本当にあったことです 人称を「私」から「修子」または「彼女」「自分」に書き換える以外は一切加筆していません
高円寺ライブハウス ペンギンハウス
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