仲田修子話 129

その頃、修子たちはライブ活動を段々と控えるよういなってきていた それまで出ていた目黒の「ちゃばん」・・・修子たちがそこでライブをすると驚くほどお客が集まるので、それに味をしめた店側は週に1度 それも平日を選んで修子たちを出演させていた 最初はまあ文句も言わずにそれに応えていた修子だったが、ある日事件が起きた

なんと「ちゃばん」が修子に無断で「ぴあ」に勝手にライブ告知をしていたのだ それもそのことでダブルブッキングを引き起こすことになってしまった ついに修子の堪忍袋の緒が切れた

「ふざけるんじゃない!あんたたちにライブをやる資格は無い!」そう叫ぶともう2度とそこへライブをしに行くことは無かった

それからしばらくして噂が耳に入ってきた 「ちゃばん」がその後ライブを止めたと

さて、話はまったく変わるが修子は色々なコンサートの企画もしていたが、彼女のこういう性分は日常の中でもしばしば色々な形で現れた

それは「ナントカごっこ」というもの・・・

たとえば日常的なところでは矢島を相手にほぼ毎日「喫茶店のマスターとお客ごっこ」というのをやっていた 簡単に説明するとアパートの台所を喫茶店に見立てて矢島が喫茶店のマスター、修子がそこの常連客という設定でやる即興劇である 修子はこういうことを考えて実行することが好きだった

そういえばかつて「天井桟敷」の芝居に出演したとき寺山修司が「君はこっち側の人だ」と言ったのは・・・そういうことを指していたのかも知れない

たとえばこんなことがあった ある日突然「アラビアンパーティー」をやろうと修子が言い出したのだ

普通の和室の部屋をまるでアラビアの砂漠の中に建てられたテントのように飾りつけ、なんとなくアラビア風に見える衣装を着て、修子が作ったアラビア風料理を皆で食べる・・・それは修子が大好きだった「千夜一夜物語」の世界を再現しようと思ったからで、その時は本当に参加した全員がアラビア人になったような気分になった 網戸に貼り付けた銀紙で作った月が輝くその外は、北沢の住宅街ではなくその時は本当に果てしなく砂漠が広がっていた

このパーティーは本当に楽しかった 修子も筆者も今でもそのときの様子ははっきりと覚えている

高円寺ライブハウス ペンギンハウス

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