2010年

昨日自分のデジタルレコーダーの容量が一杯になったので不要なデータを消したり、保存しておきたいものはほかのメディアにコピーしたりという作業をやっていた そしたらもう今となっては懐かしい音源が色々残っていた 幸いそのデータにはその録音した日付がついていたので「ああ、あの時か」・・・と今になって回想することがいっぱいあった

2010年 まだ僕は八ヶ岳にいて向こうでいろいろな活動をすごく積極的にやっていた ほとんどがその頃の記録なのだ

2010年7月22日・・・森の中のトリの声が録音されていた 当時僕は「森NOTE」という音楽プロジェクトをやっていて、これはトリの声や河の音など自然の音を元にそこにギターサウンドをコラボするというもので一応CDも製作したのだ(これ、まだ在庫が少しあるよ) 当時はしょっちゅう森に入ってはこういう音を取っていたっけ

7月28日・・・その森NOTE活動の一環として僕は山梨県北杜市明野にあった「キャンピカ明野」というキャンプ場で小学生くらいの子供たちに松の小枝で作る笛のクラフト教室をやっていた 出来上がると森の中へ行って子供たちに笛を吹かせる 歓声をあげながら自然の音とのコラボを楽しむ子供たち・・・この教室はけっこう人気があってかなりの回数やった 右の写真は当時僕が参加していた「エコアートプロジェクト」というイベントのプログラムに参加したときのパンフレットに載ってたもの(当時は本名の「たかし」で)

7月25日・・・その「エコアートプロジェクト」のイベントで僕が企画した「畑のコンサート」 これは地場(ちば)さんという農業家の畑をお借りしてその真ん中で電気はいっさい使わず真っ暗闇で明かりは手作りのキャンドルだけ そして畑の真ん中の空き地に円陣を作ってお客はその中に、ミュージシャンがその周りを取り囲んで演奏するという前例のないやりかただった 当日は午後から雷雲が発生して今にも雨が降り出しそうだったのに不思議と僕らが居る畑の上空だけはくっきりと切り取ったように星空が出て満月の月明かりの下幻想的な光景と演奏で、参加してくれたみんなもすごく楽しんでくれた この演奏の模様はいずれCD化して皆さんにも聴いてほしいと思っている 当日参加してくれたミュージシャンは「KURI」(右)と「宇々地」(左)の2組 両方とも素晴らしいプレイヤーだ

8月15日・・・そのKURIの家でかっちゃん(g/ブズーキ)みほちゃん(笛/ピアニカ)とアメリカ人のチェロ奏者KASIAとのリハをやってる音源 翌日のライブにむけてだ KURIの家は八ヶ岳でもめったにないくらい狭くて危険な山道を登りきった高台に一軒ぽつんと建っている これは彼らが廃材を使って自分達で建てたのだが本当に居心地がよくて気持ちのいい場所だった リハは1~2時間やったが、そのあいだお互いに笑いあったり和気あいあいと楽しくやってる様子も録音されている リハのあとKASIAがチェロでバッハの曲を弾いている その向こうで食事の支度をするみほちゃんの音が小さく聞こえている このあとみんなで食事・・・楽しかった KASIAはその後アフリカのタンザニアで現地の青年と結婚・・・今はアメリカに居るらしいが・・・どうしているだろう

翌日16日・・・さっき話した「キャンピカ明野」でのサロンコンサート・・・多くの人が来てくれてそれは素晴らしいライブになった この音が残ってないのが残念!

そしてライブが終わった後、外のテラスで打ち上げのガーデンパーティーが開かれた みんなで持ち寄った料理に舌鼓を打ちながらそれは楽しい打ち上げだった その中に一人の男性がいた 僕の知り合いのピアニストのご主人で初対面だったが彼は天文学者で、当時南米のチリで天文台建設のために向こうでお仕事をされていて(高名な天文学者だ)たまたまお休みで日本に帰っていてその日のライブを観に来てくれたんだという 話をしたらとても素敵な気さくで明るい紳士で、僕も天文がけっこう好きだったのでお互い酒を酌み交わしながらおおいに談笑したのだ

その方の名前は「森田耕一郎」さんといった・・・覚えてる方が居るだろうか 12年の5月にチリで日本人の学者が強盗にあって殺害されたというニュース・・・それが彼だったのだ

とにかく2010年・・・まだあの大震災が来るなんてことは誰も予想も想像もできなかった頃だ あの当時お金はなく貧しく・・・それでも自分達のやっていることに自信と誇りを持ってみんなが生きていた あの時の日本には・・・もう戻れないのだろうか

福島のことを聞くたびに、安陪政権のやっている危険な試みを見るたびに・・・色々考えてしまう

あれから・・・3年が経った

高円寺ライブハウス ペンギンハウス

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