仲田修子話 153

オレンジスタジオがオープンしてしばらく経った頃、ちょっと懐かしい人物から修子へ連絡があった それは修子が以前弾き語りやバンドのハコの仕事でお世話になってた、プロダクション「ジュダス」の社長の「エンチョウ」からだった

「オサムちゃん久しぶり! 元気にやってる? あのさ・・・ちょっと相談があるんだけどさ・・・」

その相談と言うのは修子のオリジナル曲をレコーディングしたい シングルで2曲を・・・という話だった 特に断る理由も無かったので修子はその話を受けることにした

打ち合わせをした結果、収録するのは「国立第七養老院」と「引越しブギ」の2曲に、A面が「国立」B面が「引越し」と決まり、アーティスト名は修子が「本名ではやりたくない」ということで彼女のニックネームを使い「OSAMU(オサム)」ということになった

レコーディングにあたってエンチョウはかなり奮発して、バックはホーンセクション入りのビッグバンド、そしてアレンジに「森田広一とトップギャラン」の大ヒット曲「青春時代(注;1)」を手がけたアレンジャーを起用するなど、以前の「M」というどうしようもないプロデューサーとは雲泥の差がある待遇だった

そして某日、修子はコーラスをつけるバンドメンバーを伴ってスタジオに行きレコーディングに臨んだ まず出来上がったオケを聴いてみると、その当時としては珍しい本格的なビッグバンド形式のスタイルで「国立第七養老院」も「引越しブギ」もすごく粋でお洒落でカッコいいアレンジになっていた

それで修子も安心して2曲を歌い、レコーディングは無事終了した

このシングル盤は当時「マーキュリーレコード」という会社から発売された

エンチョウはこれが出たのをきっかけに修子にレコ発ツアーをやって欲しがったが・・・修子の「イヤだ、面倒くさい」の一言でこの計画はお流れに(注;2)・・・レコードもその後別に評判になるわけでもなく忘れ去られていった

ところが近年になってある人物が教えてくれた

「修子さんのあのレコード、今は幻の名盤としてすごく人気が出てますよ それで”このオサムって誰なんだ”ってちょっとした話題になってて・・・いまだとヤフオクでもプレミアが付いて・・・」

なんと6、800円の値が付いているそうだ

最近では結構色々なアーティストがやっているが、今聴いてみるとビッグバンドをバックにしたこういう曲は当時としてはかなりレアだ 「国立第七養老院」のバリトンサックスとハープが印象的(もしかすると八木のぶお?)「引越しブギ」のアップのブギが途中でスロウ3連になるところなんか今聴いても全然色褪せてないのだ

「国立第七養老院」

「引越しブギ」

注;1「青春時代」 歌謡コーラスグループ「森田広一とトップギャラン」が1976~77年いかけてヒットさせた曲 イントロでのホーンセクションアレンジが当時としては斬新だった 森田はシンガーとしてより作曲家として活躍していた 数多くの歌手に曲を提供している

注;2 この話だけを読むと修子はエンチョウにかなりひどい仕打ちばかりしてるように思われるのでこの話もお伝えしておく このレコーディングから3年ほど後、事業で苦しんでいたエンチョウに修子は多額の金を貸したことがある それはあのレコーディングなどのことに対して修子が彼に恩を感じていたからで、無利息・無担保・無期限で・・・返済にはかなりの年月がかかったが、修子はそれに一切文句を言うことはなかった

高円寺ライブハウス ペンギンハウス

出演するには?

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする