追悼 遠藤賢司(後)

それからはずいぶん長いブランクがある その間も「東京ワッショイ」などの名曲を発表し、メジャーの世界にも食い込み、相変わらず精力的に活動をつづけていた彼の足跡を遠くで見ていたが、その次に会ったのは2005年に高田渡が死去して、その追悼イベントが開かれた小金井公会堂だった このとき僕も参加していて「シバ」や「いとうたかお」などのバックでギターを弾いたのだが、そのときステージ袖でまるで鬼のような形相で、出番を待っていた遠藤賢司を見た そのときはまるで阿修羅像のようにすごい気迫の彼に、ちょっと恐さを感じたほどだ 遠藤氏と渡はじつは昔からとても仲が良かったのだ そしてマイクの前で歌ったのがこの「夢よ叫べ」 歌い終わりの最後に四股を踏み「ウオーッ!」と叫んだ姿は今でも忘れない

その次・・・意外なところで彼と会うことになった
当時僕は「からまつ亭」という蕎麦屋の主をしていたのだが、吉祥寺の店を閉めて八ヶ岳で商売を続けていた そこによくお客で来ていた「ざぶとん亭」の馬場さん この人は今でも山梨のテレビ番組でコメンテーターをやったりしているイベント企画者で、山梨ではとても有名な方なのだが、彼からの要望で甲府で「ざぶとん亭」が企画する落語のイベントの打ち上げに、ケータリングで蕎麦を出すことになった 当日は彼のお屋敷に道具一式持参で伺いそのイベントの出演者に蕎麦をふるまった 今や有名な「春風亭昇太」師匠や、作家の「高田文夫」さんなど落語関係者が多く居たが、なぜかその中に遠藤氏が居たのだ
実は遠藤氏と馬場さんは親しい仲で、今までも馬場さんが企画したイベントなどによく参加していたそうで、その時もなぜか落語に混じってあのギターアンプを背負って演奏するというのをやったのだそうだ

初めて間近で接する機会に恵まれた僕は彼に話しかけた

「お蕎麦、どうでしたか?」
「ああ、美味しかったよ」
「実は僕、ついこの間遠藤さんとお会いしてるんです」
そう話すと、ちょっとけげんそうな顔をする彼に対し話を続けた
「この間の渡ちゃんの追悼イベントのあった小金井で、僕もシバと一緒に演奏したんですよ!」
そう語ると一気に彼の表情が笑顔になった
「なんだ、じゃあ仲間じゃないか!」
そう言ってむこうから手を差し出してくれて握手をした その手が大きかったこと・・・僕もかなり大きいが、それをすっぽり包んでしまうような、がっしりとした暖かい掌だった

遠藤氏と会って話をしたのはそのときが最初で最後 でも僕はあの若いときの僕の心に一気に火をつけてくれた、この人のことは一生忘れない

彼がガンと闘っていたことは大分前から知っていた

でもあれだけの逞しさと気力を持っている方だからきっと絶対に元気になって戻ってきてくれる・・・そう確信していただけに、残念で仕方ない

遠藤さん あなたに教えてもらったことを少しでも受け継いでいけるなら・・・僕もまだまだ頑張りますよ それがせめてもの恩返しかと思ってます

どうか安らかに・・・お休み下さい     ジミー矢島

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