仲田修子話 149

いよいよ「大久保スタジオ」の営業が始まった

「猫屋敷」のときとは違ってオープンしたからといって、友人や知り合いがぞろぞろやって来てくれるわけではない

初日から全くのフリーの利用者の予約を”1”から受けていかなければいけない

当時一番よく読まれていた某情報誌に広告を掲載してはいたが、果たしてどういう反応が来るのか・・・なにしろ前例がほとんど無い業種・・・「ベンチャービジネス」と言えばカッコいいが、もし大外れだったらそれこそ野垂れ死にになってしまう

やがて・・・スタジオの受付デスクの電話が鳴った

「はい、大久保スタジオです・・・はい、はい そうです・・・1バンドで1時間ですと○○円になります・・・はい、機材はすべてこちらで用意してあります・・・はい、○月○日の14時から16時の2時間ですね、空いております・・・はい、ありがとうございます・・・ではお名前を・・・はい、はい、了解しました ではそのご予定で予約入れさせていただきます 有難うございました」

受話器を置く しばらくするとまた鳴る

「はい、大久保スタジオです ○月○日ですね・・・・」

こうして大学ノートで作った予約表が次々に埋まってゆく

「やった!これは当たりだ」 修子はそう確信した

彼女が今でもよく口にする言葉がある

「売る身は買う身」・・・これは神田の老舗蕎麦屋「まつや」の店主の残した名言だ

消費者や利用者の気持ちになって考える・・・今のサービス業界では当然のように思われていることだが、当時はまだそういうことに注目する企業や経営者はまだ少なかった

あの悲惨な渋谷のスタジオを経験した修子だから出来た発想だったが、それは間違っていなかったのだ

大久保スタジオの予約ノートはみるみる予約で一杯になった

「すみません、あいにくその日のその時間はもう埋まってしまっていまして・・・」

嬉しい悲鳴が現場では連日起きていた

そして修子の読みのとおり、スタジオの外の休憩ブースは、時間待ちをしたり演奏を終えたバンドメンバーたちの格好の”サロン”になっていた

演奏が終わってるのになかなか帰らないのだ そこはかなり居心地が良かったようだ スタッフが淹れたコーヒーを飲みながら、その日の演奏についての話や全然関係ない雑談だったり 防音された窓のむこうでは別のバンドが演奏している・・・それを眺めたり・・・と

脚注;「大久保スタジオ」のあったビルは今でも存続している 大久保駅のホームからすぐ見える「メゾン オグラ」外装も当時のままだ 久しぶりに入ってみた

やはりエレベーターはかなり狭い ここの3階のたしか「304」だったか「305」のどちらかだった 一応「マンション」とうたってはいるが”住んで”いる人はあまり無いようで、よくわからない事務所とかショップとか、あきらかに「風俗」と思える店?もあった なんだかここだけ昭和が残ってるような、ちょっとレトロな空気がある

高円寺ライブハウス ペンギンハウス

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