ギターギター 25

それは他でもない・・・私の家がある八ヶ岳の麓の清里です

まあ見て下さい こんな景色です

ここは今でこそ有名な観光地あるいはリゾート地になってますが、その裏にはとても辛い開拓の歴史がありました

昭和12年 東京の西の奥、多摩川の源流部にダム(小河内)が作られることになり、その水底に沈むことが決まった旧小河内村と山梨県丹波山村及び小菅村の人々の何割かは政府の政策で八ヶ岳の麓の「念馬ケ原」を開拓するために移住してきました 当時のその地域は地元の人々でさえ滅多に立ち入らない「未踏の原野」 石ころや岩だらけの土地は痩せていて真冬には零下20度にもなる過酷な大地で、移住してきた人々の苦労は筆舌に尽くせないほどだったそうです 寒さの中病気に倒れても病院も無く、去っていくものも多かった おまけに「開拓民」ということだけで元々居た周辺の住人たちからは差別されたり蔑まれたり・・・

その土地にあるアメリカ人の宣教師が手を差し延べました

その名は「ポール・ラッシュ Paul Rusch」

彼は清里に「清泉寮」という施設を建て、農業がなかなかうまくいかなかったこの土地に酪農を取り入れることを推奨し、その指導をしたり診療所や幼稚園を作ったりとこの土地のために尽力しました この土地の人々はそれに今でも恩を感じていて、毎年10月にはポールに感謝する「カウンティーフェア」というお祭りをやっています そのポール・ラッシュの出身地があのアパラチアのあるケンタッキー州だったのです

高円寺ライブハウス ペンギンハウス

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