ギターギター 48

「スリーピー・ジョン・エスティス」は私にとって色々な意味で特別な思い出があるブルースマンです 先にお話したように初めて買ったブルースマンのソロアルバムが彼のものだったことともうひとつの理由があります

それは彼が始めて日本に来て演奏した戦前のブルースマンだったからです

時は1974年、「第1回ブルース・フェスティバル」の出演者として盟友ハミー・ニクソンと一緒に、そして「ロバート・ロックウッド・ジュニア Robert Rockwood Jr」「ジ・エイシズ The Aces」らとともに東京では「郵便貯金会館ホール」でコンサートを行ったのです

もちろん私は観に行きました 詳しいことは拙著の「僕のブルースマン列伝5」をお読みいただくとして、ここではそこに書ききれなかったことを書こうと思います

2年後の1976年、エスティスはニクソンと一緒にまた日本を訪れました かなり体調が悪 くなっていたようで、「これがラストツアーになる」という触れ込みで今回はワンマン、オープニングアクトとして「憂歌団」が出演 実質的にこれが彼の本当に最後の海外公演となりました

このツアーの直後、アメリカに戻ったエスティスに不幸が訪れます

なんと自宅が火事になり、全焼してしまったのだそうです 彼の不幸はこれだけではありませんでした エスティスには5人の子供が居ましたが、その息子たちのうちの何人かは悪の道に入りなんでも”ブラックマフィア”になってたそうです エスティスがコンサートやツアーをして家に戻ると息子たちがやってきて「親爺、稼いできた金を出しな!」と金をむしりとって行ったそうです

結局、最後の来日の半年後の77年6月に彼は亡くなりましたが、最後まで本当にブルースマンらしい生き方でした でも、日本に来て生でその演奏を見せてくれたことで、私たちがブルースに対して持っていた様々な憶測や誤解を振り払ってくれた彼には感謝しつくせません


スリーピー・ジョン・エスティスは「リアルブルースマン」だったのです

高円寺ライブハウス ペンギンハウス

出演するには?

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする