山梨の都留市にあった「ギブソンハウス」というライブハウスで開かれたブルースセッションには僕がバックギタリスト兼運転手で車で一緒に何回も出かけた。
道中の往き帰りには色々なことを話した。妹尾さんはとにかく話し好きで、喋り出したらそれこそ一晩中でもあのすごくアップテンポで前のめりな喋り方で喋りつづけた。特にあの当時は日本各地へ出掛けていって、その先で出会うブルースをやってるミュージシャンたちとプロアマの分け隔てなく交流し、色々アドバイスをしたり積極的に自分のステージに呼んだりしていた。とにかくいつでもポジティブでアクティブで前向きで気さくで面倒見のいい人だった。
一方、彼にはちょっと困ったところがあった。それは時間や約束事に無茶苦茶ルーズだったこと。以前中野にある「ブライトブラウン」で武蔵野ミニー(当時はわたりべふみ)のライブのサポートで出たとき、妹尾さんも入ってたのだけど、リハの時間になっても来ない。大分遅れてやってくると「すまんな、ちょっとハープの調子が悪くて直してたもんやから」などと言い訳をするので僕らも仕方ないと思ったのだが、後に彼のそういうところはよくあることだと知った。
実際ある日のこと僕が彼と「ギブソンハウス」に行ったとき、もう目的地目前でなぜかその店のすぐ近くの喫茶店で食事をしようということになり、僕らはそこに寄った。すると食事が終わっても妹尾さんはお喋りを始め、いつまでも話し続けるのだ。時計を見るともうすでにセッションが始まってる時間だ。思わず僕が「妹尾さん、もう始まってるけど」と言うと「ええねん!」と、結局一時間近く遅刻して店を出た。彼のそういうところはしょっちゅうだったようで、遅刻するならまだしも決まってたライブをドタキャンするなんてことも有り、ついに堪りかねたバンドメンバーから「妹尾さん、もう辞めてくれ」・・・となんと自分が作ったバンドからバンマスがクビにされるという聞いたことのないエピソードまであったらしい。
このようにとても困った人だったのだが、人柄は本当に素晴らしい人で多くの人から慕われ尊敬されていた。
あの素晴らしいブロウハープがもう2度と聞けなくなるのは本当に残念だ。
最近はずうっとお会いしてなくて、最後に電話で話したのがもう数年前・・・その前にあった長年の盟友だった塩次伸二さんの急死のショックからようやく立ち直った頃かな・・・久し振りに妹尾さんから電話が来た。
「あ、オレやけどな 今度八ヶ岳でライブやるんやけどジミー一緒に行かへんか?」というお誘いだった。
内心「どうせ僕の運転が目当てでしょ」と言おうかと思ったけど、当時はもうすでにペンギンハウスで仕事をしてたので丁重にお断りした。すると
「そ、そうか・・・ほなまたどこかで一緒にやろうな」
そう言って電話を切ったあの時が僕が妹尾さんと話した最後になってしまった。
お身体の具合が悪くて闘病してるとは聞いてたけど、まさかこんなに急なことになるとは・・・
実は僕も密かにそのうちいつか妹尾さんを呼んで一緒にまたライブをやりたいなと思ってたのだけど、それももう叶わないことになってしまった。
残された僕らはただこれからも自分の道をひたむきに進み続けるしかない。
いつ終わるかは天のみが知ってることだから
高円寺ライブハウス ペンギンハウス