ギターギター 68

ここまで紹介してきた私が影響を受けた戦前のブルースギタリストたち・・・紹介したい人はまだまだ居るのですが、とりあえず最後はこの人にしました その名は

「ビッグ・ビル・ブルンジー Big Bill Broonzy」

本名はウィリアム・リー・コンリー・ブルーンジーです。1893年6月26日にミシシッピー州スコットで生まれました。1920年にシカゴに出て、パパ・チャーリー・ジャクソンにギターを習い、1926年頃にパラマウントに初レコーディングしています。その後、徐々に名を高め、30年代中期以降はシカゴ・ブルースの旗頭として活躍しました。ギタリストとしても、サニー・ボーイ・ウィリアムソンⅠ、ジャズ・ジラム、リル・グリーンなどのレコーディングに付き合っています。50年代はヨーロッパにたびたび巡業し、フォーク・ブルースマンとして白人層の人気を得て、フォークウェイズやストリーヴィルなどで多くのLPを作りました。1958年8月15日に喉頭ガンのため死去しました。(以上「ラディカル・ビスケット」より)

恐らく戦前のブルースマンの中で私が一番影響を受けたのが彼のギタースタイルだと思います

彼のギタースタイルは基本的には「ブラインド・ブレイク」のスタイルを発展させたものですが、そこにミシシッピらしい泥臭さと当時主流になりつつあった「スィングビート」を取り入れた泥臭くて洒落たサウンドを生み出しました 彼の独特の粘っこいギターフレーズは本当に魅力があったのです 彼は初期の頃にはアコギ1本で素朴なカントリーブルースをやってましたが、シカゴに出てからはピアノをはじめ様々な楽器を取り入れて次第に”バンドブルース”のスタイルを作ってゆきました このスタイルを総称して「ブルーバードビート」と呼ばれていました


このあたりは前に紹介した「タンパ・レッド」と共通するのですが、シカゴに出た彼は「ブルーバード Blue Bird」という黒人専用のレーベルを中心にどんどんレコーディングを重ねてゆきました シカゴの「バンドブルース」の母体となるスタイルを作っていたのは他ならない、ビルたちでした

おことわり;明日から「ギターギター」はしばらくお休みさせていただきます ペンギンハウスに新しいPAミキサーが入ったので、そのセットアップに数日以上かかるためそちらに集中させていただきます それが落ち着き次第また再開させていただきます しばらくお待ちくださいませ よろしくお願いします   ジミー矢島

高円寺ライブハウス ペンギンハウス

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