ギターギター 81

「デトロイト」という街はシカゴから東へ約300キロ、シカゴと同じように「五大湖」の中の「エリー湖」「ヒューロン湖」に面した人工約700万人の都市です かつては自動車産業で栄えた工業の街でしたが、日本の車がアメリカ全土に普及されるとそれに伴いどんどん衰退して今は人口もどんどん減っているそうです そしてこの街にはとても有難くない名称が付けられています それは「アメリカで最も危険な街」というもので、実際犯罪件数の多さはほかのどの都市をも抜いてダントツトップで、しかも黒人の多くは極貧生活を強いられていて、そこから犯罪に走る者も多いようです そしてそういうこともあってか黒人たちに対する差別や虐待もエスカレートしてゆき、それが引き金となって1967年に有名な「デトロイト暴動」が起きます

そしてその当時実際に起きた事件のことを扱った映画が去年公開されました

タイトルはずばり「デトロイト」 私はまだこの映画は観ていませんがぜひ観たいと思っています

さて、前置きが長くなりましたが、このデトロイトを根城にして活躍したブルースマンが居ました この人もかなり有名なのでご存知とは思いますが

「ジョン・リー・フッカー John Lee Hooker」です

1917年8月22日(1915年説もあります)にミシシッピー州クラークスデイルで生まれ、2001年6月21日に死去しました。子供の時にはスピリチュアルを歌っていて、1942年にゴスペル・グループのフェアフィールド・フォーに参加しています。1943年にミシガン州デトロイトに出て、昼は仕事をして、夜はクラブに出演するという生活を送りました。1949年にモダンで初録音し、その中の「Boogie Chillen’」が大ヒットし、続いて同年の「Hobo Blues」もヒットになり知名度を上げました。そこでキング、チャンス、ゴサムなど他社にも変名を使ってレコーディングをするようになります。テキサス・スリム、デルタ・ジョン、ジョニー・ウィリアムズ、ジョン・リー・ブッカーなど名前で、中でもテキサス・スリムとしての作品が有名です。その後、1951年には「I’m In The Mood」がヒットして、1955年頃からヴィー・ジェイにレコーディングを始め、この頃には白人層にも知られるようになりました。1970年代はカルフォルニア州に移り、ロック・ミュージシャンとの交流を深め、1978年にはロサンジェルスに永住しました。1998年にはヴァン・モリスンとの共演作「Don’t Look Back」がベスト・ポップ・コラボレーション賞を受賞しました。彼の、足を踏み鳴らし、うねるように低音弦リフを弾くブギ・スタイルは、まったく独特で誰にも真似できない世界を創っています。
1984年に来日しています。 (以上;ラディカルビスケットより)

「マディ・ウォーターズ」と同じ「クラークスディル」出身ですが、その音楽スタイルは大きく違っていました こんな感じです

高円寺ライブハウス ペンギンハウス

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