僕の八ヶ岳話 17

そして夕方、今はどういうシステムになってるかは知らないが、当時は各現場に派遣されたガードマンはその日の仕事が終わったら必ず自分が所属する「支社」にそのことを報告することが義務付けられていた これを「下番(かばん)報告」と呼んでいた 当時は携帯など無かった時代だから、どこかの公衆電話か、その現場の電話機を借りてという形だった 下番報告が来るとまずその状況を確認し「お疲れ様でした」と言うと同時に、その隊員に次の日の現場の指示をする必要があった もう固定でひとつの現場に入ってる隊員なら何の問題もなく「では明日もそちらの現場でよろしくお願いします!」「了解しました」・・・で済む

ところが、隊員の中にはあえて毎日違う現場に行きたがるものとか、明日は休むなどと言いだす者も数多く居た 警備員というのは週給制で基本的には週に何日出て何日休んでもいいという決まりになっていた

隊員にはその経歴とか性格とか・・・様々な背景を持つ、そしてかなりクセの強い人間が大勢いたのだ

夕方・・・その時が僕ら”指令室隊長”を任された人間にとっての最大の修羅場になるのだ それはまるで築地の魚市場の「せり」のようでもある 一人ひとりの隊員・・・これをどうやってどこの現場に送るか・・・ここで丁々発止の駆け引きが始まるのだ!

隊員にしてみれば、なるべく楽で稼げる現場に行きたい しかし、その要望を丸々引き受けててはとても全現場に派遣をすることなんて出来ないのだ そこで電話を通してそれぞれの隊員との交渉が始まるのだ
「○○さん、明日は××の現場に行って欲しいのですが・・・」
これがまだ成りたての新人ならそれで済む ところがもう一方はベテランで仕事もよく出来るのだが「海千山千」の連中なのだ!


「ええ?、あそこの現場・・・オレあそこなら行きたくないなあ~」・・・とゴネはじめるのだ それをなんとかなだめて時にはちょっと脅したり・・もう飴とムチを使いまくってなんとか拝み倒す
「ね、ね、ね この次は絶対にいい現場紹介しますから・・・今日だけ”泣いて”もらえませんか?」
するとしばらく時間が空いて・・・向こうがこう応える
「まあ、矢島さんがそう言うんじゃわかったよ! 今回だけだよ!」

やれやれ・・・ほっと胸を撫で下ろす・・・でもこういうやり取りは簡単にはできない それが出来るようになるまで、僕はある課題を自分に課して”トレーニング”をしていたのだ

高円寺ライブハウス ペンギンハウス

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