僕の八ヶ岳話 54

その日は結局かみさんがタクシーを呼んで病院まで娘を連れて行き診断してもらい、ただの風邪だということで注射と薬で事なきを得た しかし、こういうことがしょっちゅう起きるのでは僕もストレスが溜まってしょうがない せっかく八ヶ岳に来たのに自分の自由行動もろくに取れない・・・今考えれば本当に身勝手な考えだが・・・ついに僕はキレた

「頼むから免許取ってよ!これじゃ不便で仕方ないじゃないか」
「だって私は車なんか運転する自信ないよ~!」
そういうかみさんを「車運転できればいつでも好きなところへ行けるのだよ」「山梨は車社会なんだから車無くちゃ無理無理!」・・・とかなんとかなだめすかして・・・

ついに彼女は渋々と免許を取りに教習所へと通いだした 当時よくこんなことが言われてた
「教習所へ行って免許を取るには歳の数×万かかる」
つまり20歳なら20万円、40歳なら40万円・・・といった感じだ 確かに僕も教習所で一度仮免試験落ちて30万以上かかった 当時かみさんはまだ20代だった しかし、彼女の言うとおり僕が予想したとおり・・・20万円台では収まらなかった それでもなんとか四苦八苦しながらも免許を取得・・・安いスズキのAltoの8年落ちの中古車をローンで購入 彼女の車運転暦が始まった


当初・・・覚悟はしていたが、かみさんはしょっちゅう車をどこかにぶつけていた 幸い人身とか対車とか・・・大きな事故は起こさなかったが、まあ僕も免許取立てのころは何度もやってるのだが・・・バックしてて後の壁にぶつけるとか、角を曲がる時ガードレールのポールに擦るとか・・・しょっちゅうどこかしらをぶつけたり擦ったりしていた

のちに生まれた下の子供・・・息子は彼女の車のことをこう言っていた
「お母さんのくるま・・・ポコンポコン」
そんなかみさんも今では運転暦30年を迎え、毎日車を飛ばして仕事にかけずり回っている 走行距離は年間5万キロに近い

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