僕が東京に来た理由 2

ペンギンハウスでのライブを終えて僕は再び八ヶ岳に戻った。 「計画停電」は相変わらずまるで「イジメ」のようにほとんど予告も無しに突然、そして何度も実施された。一番近場にあった地元の銀行のATMはずうっと閉鎖されてたし、何故か電力は使って無いのに地元のローカル線の小海線はずうっと運行停止されてた。
僕はその当時地元にある製造工場に勤めてたが、しょっちゅう「時短」「操業停止」になって、時給で働いていた僕の家の家計を直撃していた。 でも、八ヶ岳の人間達は割と元気にそういうものにも耐えて暮らしていた。
僕はやはり東京のことがどうしても気になっていた。 あの街中を覆うような暗さ・・・何とかしないとヤバいんじゃないか・・そう思ってた。

実は震災が来る少し前に僕は仲田修子からある誘いを受けていた。それは「東京に出てきてこれから始める新しい事業を手伝ってほしい」ということだった。事業というのは飲食店で、僕はそこの店長として入るという条件だった。待遇も悪くは無かった。そして、その事業が落ち着いたらペンギンハウスにスタッフとして入ってほしいということも条件に入っていた。

写真は春を待つ八ヶ岳

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