僕が東京に来た理由 3

ただ、僕はその誘いを簡単には受けることは出来なかった。その頃僕がそれまでやっていたライブ活動以外に始めた環境音楽の活動が非常に好調で、それまでのライブハウスではなく考古館や県立美術館などでのコンサートが増えて、その出演料もはっきり言えばそれまでのライブハウスでのギャラとは比較にならないくらい良かったのだ。それに僕自身がその音楽スタイルに「自分が本当にやりたかったこと」を見いだしていた。山梨や長野を地盤にして活動する様々なアーティストたちともコラボして大きなイベントもいくつも企画して成功させていた。それらを全部放棄して今東京に出ることにはかなりの抵抗感があった。 どうしよう・・・おまけに僕が中心になって企画した大きなイベント開催が間近に迫っていた。

僕は迷っていた。それは数日前に見た東京の光景がどうしても記憶から消せなかったから・・・。 あの元気の無い東京を放っておいていいのだろうか?
その日も工場は休みで、夜勤だった僕は眠れずに夜中独りラジオを聴いていた。相変わらず震災関係の番組ばかりだったが、NHKの「深夜ナントカ」という番組で視聴者からの投書をアナウンサーが読み上げるというコーナーをやっていた。何となくぼんやりと聞き流していた僕だったが、ある投書に耳が留まった。それはその時からさらに16年前の阪神淡路震災で神戸で被害に遭った人からの投書だった。

写真は長野県富士見町井戸尻遺跡から眺めた富士山

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