仲田修子話 107

ハコの仕事を抑えてライブ活動を始めようとする修子に対して、所属事務所の「ジュダス」は協力的だった。 それは修子に対する同情とか共感とかも有ったのだろうが、むしろ当時始まっていた「ニューミュージック」という音楽ジャンルのブームが引き金になっていたようだ。

つまり「荒井(後の松任谷)由美」「五輪まゆみ」「中島みゆき」などの女性シンガーソングライターたちがどんどん出てきた時代だったからだ。

そして「ジュダス」が最初に見つけてきた修子のライブの仕事・・・それは東京では無かった。

事務所が当日はマネージャーも同伴させて修子たちが訪れたのは福島県郡山市にあったライブハウス「ワンステップ」

それは今でも日本のロック史上で伝説にもなっているロックフェスティバル「郡山ワンステップ・フェスティバル」を企画主催した人がオーナーをやっていた店だった。


生まれて初めて自分の作ったオリジナル曲だけで、しかも初めて訪れる土地の初めて出演する店で演奏する・・・それはこれまでさまざまなハコで百戦錬磨だった修子にとっても、ものすごいプレッシャーだった。

おまけになんとその日その店に出演したのは修子だけではなかった。 多分店側としては気を利かせたつもりだったのだろうが、何と修子の前に「前座」として地元のロックバンドが2組も出演したのだ。

楽屋でそれを聴いていた修子はさらに焦った 「もしこれで私が出て行って歌ってウケなかったらどうしよう・・・」

その時はこの楽屋で自殺しよう! そこまで思いつめていた修子・・・

そして自分の出番がやってきた。 それまでのロックバンドが爆音で盛上げていたステージにたった1本のアコギを抱えて修子は座った。

「ジャラーン」 会場に彼女のアコギの音が響いた そして歌声が・・・

その瞬間・・・あきらかに店の中の空気が変わった。

「うおーっ」という聞こえないが心の叫びが店を満たしてゆく。

結果は・・・大成功だった オオウケだった。

仲田修子のライブミュージシャンとしての人生はこのとき始まったのだ。

高円寺ライブハウス ペンギンハウス

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