僕が東京に来た理由 5

数日後、数日分の着替えとギターだけを持って僕は八ヶ岳を後にした。やって来てみると東京はさらに大変なことになっていた。「どこそこの浄水場の水から放射性物質が検出された」「どこそこの小学校の校庭で何ベクレルの放射線を観測」・・・などというニュースが連日報道され、「ガイガーカウンター」が通販などで飛ぶように売れ、放射能汚染を恐れて関東近辺から脱出する人々も多かった。「絆」という言葉がキャッチコピーのようにあちこちで使われ、軽薄なテレビ局はそういう言葉で色々なイベントを打ち上げて結局は儲けていた。 結ばれる人も居ればその逆も・・・ある晩僕は歩いてるときに、ふとあるアパートの前で大声で言い争っている若いカップルを目撃した。女性の方は号泣していた。その争いの原因は何だかはわからなかったが、そういう光景があちこちで見られたようだ。

余震は毎日何度も起き、そのうち震度4くらいの地震には僕らも慣れっこになっていた。

もう今では毎度お馴染みになってしまっている「自粛」が各方面で広がっていた。 今のコロナウィルス騒ぎでもそうだが、何か起きるとすぐ自粛する・・・そういうのがやはり日本なんだと思う。(まあ伝染病はこわいけどね)

そして「自粛」はいわゆる公共機関だけでは収まらなかった。つまり「自己規制」・・・というのか・・・そういうものに一番遠いはずのライブハウスでさえそれは起きていた。

写真は僕の大事な友人でもある長野県井戸尻考古館の館長、小松隆史さんとの2ショット

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