僕が東京に来た理由 14

これは多くの人が誤解しているようなのであえて言うがペンギンハウスは「亜郎が作った」という話は間違いだ。ペンギンハウスを作るための資金集めも物件探しも不動産屋や大家との交渉も融資の交渉も工事の手配も、さらには自らも工事の作業にも加わって執り行ったのはすべて仲田修子なのだ。すっかり店が出来上がってようやくオープンというところまで漕ぎつけたところで亜郎は「マスター」として「猫屋敷」から転属してきたので、生前彼が色々言ってたかも知れないが、ペンギンハウスの開店には一切関わっていない。

そして、僕がPAとして戻ってから(実は僕も最初はオープニングスタッフおよび店長としていたのだが、ある理由があって辞職し長年のブランクがあった)ほぼ毎日ミーティングをし「どうやったらペンギンハウスを今よりいい店にできるか」ということを真剣に話し合った。

その結果編み出されたのがまず施設の改良、それまで“地あかり”としての役割しか持ってなかったペンギンハウスの照明設備を徹底的に改善・・・さまざまな機材を導入しとにかくステージをよりよく、そしてそこで演奏するミュージシャンの演奏に合わせて時にはアクティブに、時には深淵さを演出し・・・演奏者がいかにカッコよく見えるか、またステージが日常からはかけ離れた空間に見えるかなどに細心の注意を払った。ちなみに、今の照明で3本あるピンスポを紐を使って上下左右にPA席から自由に動かすシステムは僕が独自で考えたのだが、これを「新国立劇場」の照明をやっている方に「素晴らしい」と褒められたときは本当に嬉しかった。

亜郎が引退した後からはさらに改善を進めた。それまで無駄にあった不要な機材を処分したり、スペースの無駄を改善するためにカウンターの一部を切除してそこに新しく席を設けたりテーブルを替えたり・・・換気のためのダクトを改良したり・・・もう今までいくつ改良をしてきたのか数えきれない。そうしてそのすべてを僕と仲田修子はほぼ毎日のミーティングの中で決めてきたのだ。

そして・・・ある日・・・重大な決定事項にたどり着いた。

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