大晦日といえば

皆さん 明けましておめでとうございます 正月はいかがお過ごしですか?

僕は昨日から八ヶ岳の自宅に戻って久しぶりにゆっくりと骨休め・・・

さて、昨日の大晦日はどんな過ごし方をしてた?

大晦日といえば色々な場所で「カウントダウンイベント」とかが行われているよねえ こういうイベントのなかで僕が大晦日が近くなると決まって思い出すイベントがある

それは1972年・・・だったかな その当時両国にあった「日大講堂」という大ホールで12月31日に開かれたコンサート・・・「日本のフォークとロック大集合」とかいうようなタイトルが付いてたかなあ

とにかくその当時の人気アーティストが大集合したのだが、それがその時代を象徴するように「フォーク」と「ロック」がはっきりと区別され楽屋も別々だった

僕がなぜそのイベントを観に行ったかというと、当時すごく人気のあったユニット「武蔵野たんぽぽ団」がその演奏を最後に解散するというのでそれを見届けたかったからなんだ このたんぽぽ団と僕のいわくは色々あるんだがその話はまたいつかするとして、とにかくその日の「フォークサイド」の楽屋はすごい人数のフォークシンガーやグループで埋まっていた たんぽぽ団の面子は当然として「かぐや姫」「GARO」「遠藤賢二」「なぎらけんいち」その他・・・もうすごい熱気 第一そのほとんどが昼間からじゃんじゃん酒飲んでるんだから(笑)大晦日だったしねえ

ステージではもう早い時間から色々なミュージシャンが登場して演奏をしていた その中で僕がどうしても観たかったバンドがちょうどステージにあがっていた まだ「前座」クラスの登場する時間帯に登場した彼らは全員が真っ黒な皮の上下、リーゼントヘアーをなびかせながらすごくノリのいいゴキゲンなR&Rを演奏していた・・・う~ん、かっこいい!僕は思わずしびれたね

それがつい数週間前、彗星のように登場した「CAROL」だった サウンドもだがその独特な日本語の使い方などその後の僕の音楽スタイルに影響するぐらいその演奏は刺激的だった そして演奏が終りステージから降りてきた彼らは袖で観ていた僕のすぐ目の前を全員肩をいからせながら通り過ぎた そのとき僕は気がついた

「小っちゃ!」・・・意外なことに彼ら全員身長が160センチくらいしかなかったのだ(笑)

さて、そのころバックステージは少し怪しい雰囲気になっていた と言うのは「ロックサイド」の楽屋に居た大御所内田裕也が 「なんかフォークの連中ナマイキだな・・・ちょっとヤキでも入れてやろうか」などと物騒なことを仰ってたらしく、とにかくその当時はフォーク×ロックって今じゃ信じられないくらい仲が悪くて「日本語でロックが歌えるか」なんて今では信じられないようなテーマで真剣に討論しあってたくらい そして裕也の舎弟(多分安岡力也あたり)がフォークの楽屋を襲撃するなどという物騒な噂も飛び交い、その頃フォークロックの両方にコネクションを持ってたなぎらけんいち(彼は昔からそういうのが上手かった)が間を取り持つとかエンケンがそういうトラブルが起きること自体に怒っていたり・・・そんなゴタゴタの騒ぎもあり楽屋ではどんどん一升ビンが空になってゆくという・・・なんか修羅場のような光景が広がっていた

そんな舞台裏のようすを見ているのもバカバカしくなった僕はそろそろ帰ろうか・・・と楽屋から外に出た そしてそこでとても印象的な光景に出くわした

武蔵野たんぽぽ団のリーダーであり「フォークサイド」の中心的存在だった高田渡と当時「サディスティック・ミカバンド」でブレイク中だったシンガー加藤和彦(当然ロックサイドだ)が「フォーク」「ロック」の楽屋の間にある廊下ですごく楽しそうに談笑していたのだ 当時の加藤はもうすごいグラムファッションで紫色のヘアーをトサカのように逆立てて身長180センチ以上あるところへヒールの高いロンドンブーツを履いているのだから小柄な渡とはまるで一階と二階で話をしているようだった

でも2人とも本当に楽しそうだった そういえば元々は同じところで活動をしていた同士なのだ

そして・・・その2人とも今ではこの世の人じゃなくなったんだよねえ・・・色々なことを思い出すんだよねえ あの大晦日・・・僕も若かったよなあ

高円寺ライブハウス ペンギンハウス

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする