僕の吉祥寺話 3

高校時代・・・その頃は僕にも社会にも大きな変化と事件の時代だった

学校方の帰りのバスの中で「三億円事件」の話を聞いた 「よど号ハイジャック事件」「三菱重工爆破事件」「三里塚闘争」「新宿騒乱事件」「あさま山荘事件」などなど・・・ほぼ毎日が重大ニュースとハプニングで埋め尽くされていた (映像は「あさま山荘事件」)


その中、社会の大きな動きに刺激され僕もついにギターを手に・・・いやいや、それが動機ではない(笑)

動機は実に単純で卑しいものだった 高校の修学旅行・・・東北への秋の旅(写真は十和田湖)・・・その旅先で僕は目撃したのだ 僕の同級生で普段はぱっとしない女の子にモテるわけでもない地味な奴がいた そいつが旅行にギターを持ってきていた すると・・・彼がベンチに座ってギターを弾いてると数人の女子が彼を取り囲んだのだ!「うわあ~!」「あの曲弾いて~」とか そうかあ・・・ギター弾けるとモテるんだ! それは「コペルニクス的転回」だった 当時剣道部という一番”モテる”ことから遠いところにいた僕もそろそろ「彼女」ぐらいは欲しい時期になっていた しかし”晩稲”の僕にはそのやりかたがよくわからない この「男子+ギター≒もてる」という方程式は実に初心者むけでわかりやすかった

修学旅行から戻ると僕はさっそくギターを手に入れることにした しかし当時はまだ親掛かりの貧しい高校生の身・・・小遣い貯めてもとても手が出せるような値段のギターはなかった

そこで・・・吉祥寺の駅近くにあった”ディスカウントショップ”を訪れた そこには色々な古道具や質流れ品に混ざってギターも置かれていた そこで一台3000円のギターをみつけ手に入れた

しかし、それは今考えるととてもギターとは呼べない代物だった おそらく楽器メーカーじゃないところで作られたものだったと思う 材料は全部合板・・・もろ”ベニア”だったし 当時はど素人だった僕にはわからなかったが普通のフラットトップタイプなのにブリッジがなぜかピックギターみたいな構造でなんと”テイルピース”が付いてると・・・マカフェリかあ?というような代物・・・音も酷かったねえ

おまけに当時は楽器についての知識も情報もほとんどなく弦が切れて楽器屋に買いに行っても「ライトゲージ」「ヘビーゲージ」の違いがわからなかった僕は店員に訊かれるとその時の気分で「ライト」とか「ヘビー」とか適当に答えおまけに切れた弦だけ交換するというやりかただったので常にちぐはぐな弦を張って時には小遣いが足りなくて弦が買えないと切れた弦をペンチで繋いだりして使うというまるで昔のミシシッピーのブルースマンみたいなことをやっていたのだ

そんなギターを手にして楽器屋で「フォークギター教則本」なるものを買ってきて・・・僕のギター人生が始まった

その頃・・・僕はまだ知る由もないのだが、吉祥寺のとある一角で不気味な動きを始めた若者たちが居た 彼らはやがて吉祥寺の「名店会館」が見渡せる小さなビルの3階に小さな・・しかしその後の日本の若者の文化や意識、そして僕の人生までも変えてしまうようなものすごいエナルギーを抱えた「火薬庫」となるスペースを生み出すのだが・・・それとの出会いまでにはあと3年ほど時間が必要だった・・・この続きの話はいずれ近いうちに・・・続く

高円寺ライブハウス ペンギンハウス

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