僕らの北沢話  38

さて、僕らの心をキャッチしたその空き店舗・・・具体的にどんなスペースだったのか

記憶と残ってる写真を頼りに再現してみた こんな⇒感じだったScan0023

絵が下手なのは大目に見てね(笑) 画面下のほうが地上からの階段 たしか11段ほどだったかな 降りると小さな”たたき”スペースがあってドアがある 入ると奥に向かって細長く一番奥はくびれてさらに狭くなっている そして絵にも描いたとおりスペースのど真ん中に大きい柱が2本、さらに奥の角のところにも同じ太さの柱が1本 フリーハンドで描いたので壁とかがうねっているが、実際本当にここの壁は少しずつうねっていた いや、天井もそして階段も・・・階段に至っては一段ずつが高さも幅も違っていて微妙に傾いたりしていてまるで「アントニオ・ガウディー」が設計したんじゃないかといいたくなるくらい(右下;ガウディー作)

あとで知ったのだがこの建物・・・なんと太平洋戦争中にここの大家(こガウディーの同じ敷地の奥に大家の家があった)が「防空壕」として作ったものですべて自分で掘って作ったのだそうだ そして、戦争が終わってそこを「勿体無い」と改造して店舗として使っていたらしい

天井の異様な低さも元々防空壕であったのなら不思議ではない 僕が最初そこに入ったとき感じた異様なものはじつはそういうことも原因してたみたいだ

さて、それから数日後・・・諸々の契約が済み契約料の支払いも済み、ついに僕らは1本の鍵を受け取った その地下へと続くシャッターの鍵・・・そのあとどれだけの回数この鍵を使うことになるのかはまだ想像の外だったが・・・この日からこの場所への僕らの日参が始まった

さて、まず内装工事に入る前にやらなければならないことがあった それはこのスペースの中の天井も壁も床も・・・あらゆる部分に塗られていた塗装のことだった 塗装はアイボリーカラーの水性ペイントのようだった 天井や壁はまあいいとして、そのフロアーの真ん中に立っている柱・・・それは大きめなタイルで覆われていたが・・・そこにまでペイントされていて正直興醒めするような景観になっていた ここの主となった僕らのまず最初にやらなければならない作業はこのタイルに塗られた塗装を剥がすことだった

そしてその作業はまさに「人海作戦」ということになった ホームセンターで「塗装剥離剤」というのを購入してきてそれを塗装の上に塗り、金属性のヘラで少しずつ剥がしてゆくという作業はまた恐ろしいくらいの手間と時間がかかった 1本の柱に2~3人ずつ しがみつくようにして一日中・・・いや、夜に作業してたから一晩中・・・ただただ塗装を擦ってはがす単純でしんどい作業が何日も続いた スペースの中は上から下までコンクリート 長い間放置されてたそこはすっかり冷え切っていて座って作業していると足元から何とも言えないような冷えが襲ってきた もう季節はとっくに春になっていたが、そこでの作業はまるで真冬の洞窟の中のような冷たさ 身体に懐炉を纏っカップヌても足元から襲ってくる冷えはどうにもならず・・・そしてその作業を朝方までやると僕らはボロボロになってアパートまで戻りカップ麺をすすってそのまま疲れ果ててベッドに潜り込む・・・そういう日々が続いた

後にその当時のことを見ていた近所の人がそのことについて語った

「なんかさ、ホームレスみたいな人たちが何人も出入りしていて薄気味悪かったですよ」

それは僕らだったのです・・・とはつい言いそびれて僕はただ笑ってその話しを聞いていた

高円寺ライブハウス ペンギンハウス

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