僕のブルースマン列伝 2

好評を呼ぶのか?・・・そんなことにはお構いなく始めた「僕のブルースマン列伝」

さっそく第二回目の今日は サン・ハウス

ギタリストの鮎川誠が昔いたグループのことではない Wikipedia・・・にはグループ「サンハウス」しか出てこなかったので別の文献から拾うと

本名エディ・ハウス。1902年3月21日に生まれる。信心深く20代半ばまでギターやブルースに興味を示さなかったが、25歳の時ボトルネックを使う二人を見たことによりギターを弾くようになる。チャーリー・パットン、ウィリー・ブラウンに影響を受け、1930年にパラマウントに初の吹き込みを行なう。ロバート・ジョンソンやマディ・ウォーターズに影響を与える。一時音楽から離れていたが、1964年再発見され、1965年には名盤「ファーザー・オブ・ザ・デルタ・ブルース」を残す。1988年10月19日死去。・・・そうかあ86歳で死んだのか~意外と長生きだったのだね

20代はじめの僕の彼との出会いはまず60年代に「再発見」されてからの音源だった たしか「東芝レコード」から発売されてたライブ盤が最初 それは今から考えるとかなりイイカゲンな盤で、なぜかA面とB面の最初は曲でなくて延々とMCをしているだけという(それも10分近くもだ)・・・彼はその前ずうっと「説教師」だったので話は上手かったのだと思うが英語がわからないものには「なんじゃこりゃ」というものだった

演奏はそれはインパクトがあってまだブルースをそれほど聴きこんでいなかった僕には「ミシシッピブルース」ってこんななんだ・・・と思わせるには充分だった

それより僕にショックを与えたのはそのしばらくあとで両国の「フォークロアセンター」で観た彼の演奏の動画・・・当時はビデオではなく8か16ミリのフィルムだったが・・・その衝撃は今でもはっきり覚えている

とにかくギターを弾くときの手の動きが尋常じゃないんだ 特に右手・・・それは弾くというよりも叩くというほうが正しい 指がやたらと長いんだがその掌なんか蝶々のようにヒラジラ舞うんだが・・・まあ実際に映像で見てもらうとこんな感じなのだ そしてその”度を越えた”パッショネイティブな歌い方・・・もうほとんどパンクだよね


ただ、正直言って「再発見」されてからの彼の演奏には往年の・・・つまり戦前に残したテイクに見られた神業的なギターワークは見られなくなってしまった 迫力は充分あるのだがスライドとかギターワークがやたらに大げさで荒い 勢いだけなのだ

ブルースの伝説になってるミシシッピーブルースの歴史の中で 「チャーリー・パットン⇒ロバート・ジョンソンへの橋渡しを担った伝説のブルースマン」という評価とはなんだか違うような感じを受けてしまうのだが、それも「歳月」の流れとか考えると仕方が無いのかもしれない

再発見後の彼の演奏はけっこう多くの映像となって残ってるが、その中でやたら目立つのは酒に酔ってグデグデになってる姿だ あるビデオ映像では客席で酔って、演奏しているハウリング・ウルフの邪魔をしている様子が映ってたが・・・どうも再評価をされるまでの彼の暮らしやアメリカ南部のそれもミシシッピの黒人が受けた様々な差別や冷遇などからくる白人への拭えない不信感を増やしてしまいそれがずっと底にあったのかもしれない

だから再発見後のサン・ハウスの演奏を見ていると僕はいつもなんともやるせない気分になるのだ

まぎれもない天才・・・そして巨人だったことには違いはないのだから

それを証明する素晴らしい音源 1930年に吹き込んだ「MY BLACK MAMA」をお聴き下さい

高円寺ライブハウス ペンギンハウス

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