さて、後半というかここからは”戦後”に活躍したブルースマンの話をしていこうと思う
それでその最初は誰にしようか・・・と、迷っていたのだが昨日寝る前に久しぶりに観た「BLUES BROTHERS」でこの人にすることにした
1929年ミシシッピー州サンフラワーで生まれました。
職人的な腕を誇るギターの名手です。1940年代にメンフィスに移住してギターにのめり込んで行きます。ハウリン・ウルフのバンドに加入したり、ボビー・ブランド、ジュニアー・パーカーなどのレコーディングにも参加しています。テーボーン・ウォーカーに強く影響されて、ジャズに興味を持ち、アルト・サックスのチャーリー・パーカーのフレージングも研究しています。また、ロバート・ジュニア・ロックウッドとも親交があり色々と教わりました。
1950年代にはシカゴに渡り、メンフィス・スリムのギタリストとして活躍します。1963年にスリムがフランスに移住すると、チェス・レーベルを中心としたセッション・ミュージシャンとして活動します。
1974年にはシカゴのハープ奏者ジェームズ・コットンのバンド・リーダーとして、名盤「100%コットン」を初め三枚の作品を残します。
1978年にはブルース・ブラザーズ・バンドに参加して、映画でもアレサ・フランクリンの夫役で出演しています。1990年には60歳にして初のソロ・アルバム「ウェイ・ダウン・サウス」を発表しています。
1989年、1991年にブルース・ブラザーズ・バンドの一員として、1992年に単独で来日しています。
・・・というような人なんだが、皆さんはBLUES BROTHERS の映画はご覧になったかな
この映画は1980年に公開されてそれと同時に彼ら「Blues Brothers Band」のアルバムも出て当時はかなりの評判を呼んだものだ
その映画の中でバンドのギタリストとして登場し、役柄はアレサ・フランクリンが扮する女房の尻に敷かれながらシカゴの「マックスウェル・ストリート」で「ソウルフード」の店を経営している男という設定だった この時のシーンで導入部でストリートで歌ってるシンガーがかのジョン・リー・フッカーだったのも印象的だが
劇中で「俺、バンドに参加する」と言うマットにアレサがThinkという歌で彼を諌める・・・というより脅すのを振り切って出てゆくというシーン
この場面はこの続編として公開された「BLUES BROTHERS 2000」でもまったく同じような設定で出てくるのだが、なんとその時の彼らは「高級外車販売店のオーナー」ということになっていた
さて、僕がこの映画を見ていてどうしても気に入らなかったことがこの「マット」の扱いだ
演奏を聴いてもらえばわかると思うけど本当に素晴らしいギタリストなんだ
それが映画の中ではほんのちょろっと・・・それもなんだか存在感の薄いギターソロを弾いてただけで、彼のことを知らない人たちはきっと「なんだか情けない恐妻家の男」ぐらいのイメージしか与えてないんじゃないかと・・・
彼には名演奏も数多いんだけど僕は特に昔ジュニア・パーカーのバックで弾いたマットのギターソロで鳥肌が立った経験がある それがこのプレイだ
ずうっとサポートギタリストとしての仕事が多かった・・・それは彼の師匠である「あの人」とちょっと似てるのかも・・・次回は「その人」の話をね
高円寺ライブハウス ペンギンハウス