僕の吉祥寺話 28

初めて行った73年から77年まで 僕は毎年春一番コンサートに参加した

ゴールデンウィークは大阪・・・そういうパターンが身についてしまった

最初は度肝を抜かれた天王寺のじゃんじゃん横丁も(大阪の人に訊いても「ああ、あそこはオオサ横丁カでも一番ヤバい場所やで」と言われた)慣れるとすごく居心地のいい場所になった

大阪に住んでいたシンガーソングライターの中塚正人くん(”風景”という名曲を作った人だ)に教えてもらって、じゃんじゃん横丁のすぐ近くにあった不思議な楽器屋に行ったことがある

そこは中古のギターばかりが置いてあるのだがなぜか表はたばこ屋でその奥が楽器売り場になっスタイルてた 置いてあるギターはそれこそ「ピンキリ」で、どこのものかも知れない怪しげなビザールギターからなぜかGIBSONの「STYLE-O」なんて超ビンテージな名器まで置いてあった⇒

そこのおやじさんがまた面白くて、僕らがギターを物色してるとやってきて「あんたらにはこんなギターは無理やで、あんたらはこういうベニヤの安物でええねん」と断言されてしまった(笑)

横丁の串揚げ屋もよく通った これがまた安くて旨いんだよなあ~

「二度漬け禁止」という有名になった張り紙のある店で焼酎呑みながら・・・これはクセにソースなる!

さて、春一番コンサートの話に戻ろう

翌年の1974年(もしかすると75年かも)・・・この年はちょっと波乱のイベントになった

コンサートが始まる前から会場の雰囲気がなんだかおかしい

客席でやたらとヤジる連中が何人かいて、それもかなり悪意を持った感じで烈しい言葉をステージの出演者に浴びせる 酔っ払ってステージに駆け上がろうとする・・・それはいつもの春一では当たり前のことで、そのため主催者のスタッフにセキさんというすごく体格のいい強面の人が居てもっぱらそういう連中をステージから叩き落す役目を担っていたが・・・その時は本当にこのコンサートをぶち壊すような勢いで何人かがステージへ突進していた

あとで聞いたこれはあくまでも噂なんだが、当時このコンサートに出たがってた関西の某有名ブルースユニットが主催者の福岡風太に「お前ら日本語のオリジナルもないから出さない」と断られ、それを恨んでの凶行だったとか・・・あくまでも噂だけどね(笑)

あともうひとつ大きな事件があった

その日、出演予定だったシンガーの遠藤賢司がなんとその前日、演奏先の九州でヤクザに絡まエンケンれ乱闘のあげくボコボコにされて重傷だと・・・今日は出演は無理かもしれないとの情報が入ったのだ なんだ、エンケン観られないのか・・・多くの人ががっかりした

ところが・・・そのエンケンがやってきた 身体のあちこちに包帯巻いてなんと松葉杖ついてステージに上がると「俺はこんなことぐらいで負けねえぞ~!」と叫んで歌いだした

さすがエンケン!カッコよかった そもそも僕がアコギでロックやろうと最初に思ったのは彼の演奏観たからだ 僕の最初の師匠なんだ

そうそう、実はこの年の春一番コンサートの模様が収められた動画がYOU TUBE にアップされてるんだ まずは⇒これ 風太や渡、ディランⅡ、林亭、お!ダッチャも映ってる 懐かしい映像だ ステージで大所帯のバンドバックに歌ってるのは後に「ナイアガラ音頭」で有名になった「布谷文夫」だ 「僕たちが~住むところ~・・・」と歌ってるのが「中塚正人」だ 「明日の朝の一番列キョウゾウ車で~」と歌うのは「いとうたかお」若い!お客のファッションもいかにも70年代だよねえ 会場の外のベンチでは眠ってるいかにも労務者風のおっさん・・・こんな感じだったのだよ エンディングロールは・・・今は亡き 「西岡恭蔵」だ

そして同じ時・・・これも今は亡き高田渡の元気な姿・・・⇒これ を最後に見ていただこう

春一番のあとの話はまた後日 さて、吉祥寺へ戻ろうか

高円寺ライブハウス ペンギンハウス

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