僕のブルースマン列伝 20

さて、今日は若くして不運でなくなったブルースマン

マジック・サムMagic Sam だマジック

1937年2月14日1969年12月1日)は米国ブルースギタリストシンガー。本名はサミュエル・ジーン・マゲット。50年代から60年代にかけてシカゴで活躍し、オーティス・ラッシュバディ・ガイらとともにシカゴ・ブルースに新風を吹き込んだ。

1937年2月14日、サムはミシシッピ州中部の街のグレナダの郊外で生まれた。1950年、家族に連れられシカゴへ移住。シル・ジョンソンと出会い、彼からギターを教わる。50年代半ばには、シカゴのブルース・クラブに出演するようになっていた。

1957年、コブラ・レコードへ初のレコーディングを行う。同レーベルには57年、58年とレコーディングを重ね、”All Your Love”を始め、計4枚のシングルをリリースした。1959年にコブラが倒産した後、サムは兵役に着くが脱走してしまい、脱走罪で刑務所に服役している。

1960年、音楽活動を再開したサムは、60年、61年とチーフ・レコードへレコーディングを行い、シングルを4枚リリースした。チーフの作品はコブラの作品と比べてよりR&B色が強くなっている。このあと、暫くレコーディングから遠ざかってしまうが、1966年、デルマークとクラッシュへ相次いでレコーディングを行った。翌1967年には、初のオリジナル・アルバム、West Side Soulをリリースした。同作はシカゴ・ブルースを代表する作品として知られるようになり、彼の知名度も以後うなぎ上りに上がっていった。

1969年、セカンド・アルバムBlack Magicをリリース。同年、アメリカン・フォーク・ブルース・フェスティバル出演のために渡欧。アン・アーバー・ブルース・フェスティバルへの出演も果たすなど活動を加速させているが、絶頂期の最中、この年の12月1日、心臓発作により32歳の若さで急逝した。

生前にリリースしたアルバムは僅か2枚しかないが、没後も未発表曲を収録したアルバムがリリースされ続けている。中でも1981年にリリースされたライブ盤Magic Sam Liveは、スタジオ作では味わうことの出来ない、サムの演奏の勢いを感じさせる内容となっている。63年と64年のシカゴのクラブでの演奏と69年のアン・アーバー・ブルース・フェスティバルを収録したもので、没後のリリースながらサムの代表作として知られている。

2002年には、更にシカゴでの未発表ライブの収録したRockin’ Wild in Chicagoがリリースされた。

亡くなった年齢が32歳・・・本当にこれから脂が乗ってきてますます旨くなる矢先の急死だったサム

噂ではマネージメントをやっていた連中が彼に過酷なスケジュールを強いたから・・・とも言われているが、そうだとしたら本当に残念な話だと思う

今・・・せめてあと20年でも長く生きてたら今の黒人ブルースの世界をかなり変革させていたじゃないか・・・そう思えるくらいの勢いと瑞々しさが溢れている

彼の残した音源は少ないし映像となるとこれくらいしか見当たらないのだ

この映像はあるブルースDVDの「ボーナストラック」として入っていたもので、当日彼は出演者にブッキングされてたのかも不明だ・・・と言うのも使ってるギターはアール・フッカーのもので、この日多分レギュラーで出演していたフッカーの⇒バンドとギターを借りて飛び入りみたいに演奏したんじゃないかな・・・

だとするとこの映像が残っていたのは本当に奇跡的なことだと思う

そしてこの「本編」よりはるかに素晴らしい「ボーナス」を残してくれたことにちょっと感謝しつつも

これを見てると本当に「もったいない!」 と思ってしまうのだよね~

高円寺ライブハウス ペンギンハウス

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