僕の吉祥寺話 27

天王寺野外音楽堂・・・コンクリート造りのステージのある建物をやはりコこうえんンクリート造りの円形の客席がそれを囲むように階段状に奥に広がっている

形としては日比谷の野音とほぼ同じだ

現在はもう取り壊されて跡形もないらしい

その入り口はこんな⇒感じだった入り口

大きな木の開き戸があってその横に小さな通用の入り口がある そこを入るとステージのすぐ横に出る

春一番コンサ-トのお客はそこでチケットを買って中に入り、ステージを横目で見ながら右手の段々の客席を奥のほうへ進む

客席からステージを眺めると

こんな⇒感じだったざせき

僕は最初に行ったときからずっと出演者側だったので観客とは別のステージの下手の楽屋口からバックステージに入った

ステージの裏は大きな建物で旧い木造の階段をあがると二階に大きな部屋があった オイルを滲み込ませた床は独特の匂いがしてその後毎年ここに来るたびにこの匂いをかぐと「ああ春一に来たんだなあ」という実感が沸いたヤやおん

そこが楽屋になっていて出演者やスタッフたちが大勢そこに居た

「やあ、しばらく」「ホンマやなあ、元気やった?」なんて挨拶があちこちで交わされる中忙しそうに動き回るスタッフ、出番までまだずいぶん時間があるので雑談したり居眠りしたりお酒飲んだり・・・出演者たちは自由にそこで過ごしていた

その雰囲気が僕はとても好きだった まだまだ新参者の僕にとってはほかの全員が先輩 でも、不思議と緊張はしなかった そこの空気がとても居心地がよかった

それはきっとこのイベントの主催者である福岡風太の人柄がそのままそこに表れていたからだと思う

そうそう、僕が始めてこの会場に入った時のこともはっきり覚えている

ステージではあるバンドが演奏していた ドラム、ベース、ギターの音に混じってピックアップを通したかなりエレクトリックな感じのバイオリンの音が鳴り響いていた その音を中心にするようにさらにペダルスティールまで加わった何だかレイジーな音で演奏しているバンド ボーカルがまたギターを弾きながらえらく気だるいようなゆるーい歌い方で歌っていた ちょっとアメリカの西海岸あたりのバンド、たとえば「It’s A Beautiful はちみつぱいDay」みたいなサウンド・・・そのバンドの名前は「はちみつぱい」

そう・・のちに「ムーンライダース」へと進化した伝説のバンドだった

当時、まだどちらかといえば「フォーク」の流れの中にどっぷり浸っていた僕には彼らの演奏はかなり刺激的だった

そのわずか2年ぐらい前まで「日本語でロックはできるのか」なんて今じゃ笑っちゃうようなテーマで真剣に討論が交わされていた日本の音楽シーンにこういったもうまったく日本語でそれもオリジナリティーをすごく持ったプログレッシブな連中がどんどん現れていることを思い知らされた

それからの数年・・・僕にとって春一番コンサートはちょっとした「カルチャー教室」のようになっていCCF20140505_00000

右写真はシバのCDアルバム「長距離電話」のライナーから 春一番コンサートでの演奏風景;右側、マイクスタンドで顔が隠れてるのが僕(まるで犯罪者みたいだね) 真ん中がシバ、左でハープを吹いてるのは若き日の「鳥井ガクだ) 多分74年だったと思う

続く

高円寺ライブハウス ペンギンハウス

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