僕の吉祥寺話 35

「JAM」は年に2~3回ぐらいのペースで開催されてたと思うが僕はほぼ毎回参加させてもらっジャムていた

このイベントは楽しかった 劇場の施設も音響もよかったし、ちゃんとしたステージがあって演劇のように舞台監督とか進行のスタッフとかあってすごくしっかりとした体制と段取りで行われていて「さすがは演劇の世界だなあ」・・・と思ったものだ

あと、ガンさんをはじめお芝居をしている人たちとの音楽での触れ合いというのも色々刺激や勉強になった

それに、役者ではなくミュージシャンとして活動している今まで知らなかったミュージシャンとの出会いもあった 守川妙子という女性シンガーソングライターがいた・・・あと一人男性のシンガー

大津彰」・・・このシンガーソングライターは「つかこうへい」の劇団の専属音楽家として活躍していたおおつ人だが、それまで僕のまわりにいた吉祥寺の音楽仲間とはまったく違ったルーツを持っていて、とてもセンシブで叙情的な楽曲を書いていた

髭面に似合わず繊細でちょっと内気そうな彼だったが僕はこの人とは妙に気が合って仲良くさせてもらってた

そうそう、こんな話があった JAMのイベントが終了して何年か後にある場所で偶然彼と再会した そのときこんなことを話してくれた

「矢島君、知ってた?あの頃あなたがステージで歌ってるとそれを楽屋で聴いてた吉田日出子が”ヒデコあのこ可愛いわね”って言ってたんだよ」・・・と

そういえばあの頃僕もオールドジャズが好きで「月光値千金」なんかを歌ってたけど・・・

当時は僕もかなり人見知りで、ましてや大女優の吉田日出子と話をするなんて恐れ多くてとても考えられなかったが・・・そういえば「岡林信康」とかけっこう複数の年下のミュージシャンと浮名を流していた彼女だったんで、もしかしたら下手すれば僕も「食われて」たかも・・・それはないか(笑)

その後、ソングライターとして「矢沢栄吉」「高橋真理子」などメジャ-な歌手たちに曲を提供し活躍していた彼おっちゃんだったが1997年 わずか47歳の若さで亡くなってしまった 本当に残念な話だ

今でもあの「おっちゃん」(大津彰のニックネーム)のちょっとはにかんだような笑顔は忘れない

そしてもうひとり・・・ある日このステージにその後の僕や吉祥寺の音楽シーンにまた大きなかかわりを持つ男が現れるのだ

続く

高円寺ライブハウス ペンギンハウス

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