仲田修子話 36

さて、仲田家を次々と襲った悲劇・・・それはすべて愚かな母千代が巻き起こしたことなのだが、そのさ中、当の修子はどうだったのだろう

中学校一年のときまでは学年でもトップを争う勢いの大秀才だった彼女だが、父親の死後まったく勉強に身が入るどころか学校に行くのさえ苦痛になっていたのでもう成績はどんどん落ちてゆき卒業を控えた進路相談でもう都立では普通科は無理だと言われ「もう何でもいいから制服がセーラー服じゃない学校を選んでくれ」と言って紹介されたのが上野(鶯谷)にあった「上野忍丘高校」という商業高校 ここになんとか入れた

入ったもののその学校の必修課程の「簿記」だとかの学科にまったく付いていけなかった 修子の心の中は不安感とかで一杯で、勉強どころじゃ無く、成績もヒドく学校からは「本学始まって以来のひどい成績の生徒だ」とまで言われてしまった
その商業高校で生徒たちは「簿記検定」という資格を取らされていて1学年で「3級」2学年「2級」3学年「1級」と取るように勉強していたが、1年生の時学年全員が受けて修子1人だけが落第・・・貸借対照表(バランスシート)というものがまったく理解できなかった

日々・・・毎日自殺のことばかり考えていた 「自殺したい」ではなく「いつ自殺しよう」というようなことを・・・皮肉なことに自殺のことを考えている間だけ「生きている」という実感があった
実際に「首つり」というのもどうかと思ってちょっと試してみたら痛かったのでこれは断念、焼身自殺も痛そうだし入水はなまじ泳げたので苦しむ時間が長くなりそうなのでダメとか、やっぱりやるなら睡眠薬か・・・とにかくそんなことばかり考えて過ごしていた

挿入曲「一週間」
作詞作曲:仲田修子 2008年ペンギンハウスライブ より

その頃から「フランツ・カフカ」の小説を読み始めた「変身」「城」「村の医者シリーズ」とか・・・
楽しい思い出はまったく無かった 正面を見ることもできずいつも俯いてばかり居た 中学の1年まではあれほど活発でやんちゃだった彼女が暴力的なことも一切せずただ暗い少女となってしまっていた

そして高校2年になったばかりのとき、ついに母から

「もう学費どころか生活も成り立たないから辞めて働いてくれ」と泣きつかれた

修子本人ももうとっくに学業にも全く関心も未練もなかったのでそれを受け入れた

高校へ自分で退学届けを出しに行った それを受け取った担任の女教師がなんか嬉しそうなほっとしたような表情を見せたのを修子は覚えている

高円寺ライブハウス ペンギンハウス

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